私のトイレ事情〜排泄欲求としての「性」と対峙する
07.10 17:46Photo by iStock
男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について、描いていきます。今回は「エロスよりも緊急性の高い性の問題」について大いに語ります。
バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/shimpeisuzukiあの日の歌はどこへ行った?
「黄色と黒は勇気のしるし 24時間、戦えますか」
なんて言葉が世間を鼓舞したのは、もう30年近く前のこと。子ども心をわしづかみにしたメロディーで歌われたお茶の間ソングは、時間を経て冗談にもならない歌になった。
今なら、24時間戦わなくてはならない企業は明らかに「ブラック」で、24時間戦う人は、価値観にせよ境遇にせよ、いずれにしても「気の毒な人」と評されることが多い。
『24時間戦うなんて、余りにしんどい』
30年の時を経て、これは社会に共通する概念になった。
1日は、こうして始まる
07:30
サラリーマンである私の日々の起床時間。
気ままな独り暮らしだ。寝起きの不細工な顔を好き放題にさらして、顔も洗わずに最初に向かうのはトイレである。
パジャマとしているズボンを膝まで下ろし、電気によって心地良く暖められた便座に腰を下ろす。
2015年に男性器を摘出してからは、多少感覚がバカになった気がする。
残尿感こそないものの、これで完全に終わりなのかどうかの判断が昔のようにはつかなくなった。
一定の時間を過ごすことで区切りをつけ、3年前には使わなかったトイレットペーパーをガラガラと器用に巻き、お股をしっかりと乾燥させて私は朝のお勤めを終える。
利便性だけを考えるのなら、余りに非効率になった。
立ったままで、ペーパーも必要とせず、尚且つキレも良かったあの頃。
それはもう、私にとって遠い日の花火になった。「性」という言葉の範疇
改めて「性」とは不思議なものだと思う。一方ではとても神秘的で、一方では余りに日常的だ。
そしていずれの場合にせよ、認知し、同意を持ちあった相手との間では協和的であり、理解できず、拒絶した相手との関係性では、極めて排他的だ。
「性」における心と体の一致が、現在の社会での典型に当てはまらない状態で生きることは、「性」が持つこの両面に向き合うことを意味している。
決して単純に、エロスの性だけが問題なのではない。むしろ生きる上では、圧倒的な強制力で日常を支配する、排泄欲求としての性と対峙することの方が重要性、および緊急性は高い。
これは、LGBTの中でも最後の「T」に該当する人が多かれ少なかれ向き合う困難。
トランスジェンダー、トイレ問題のお話である。MTXジェンダー、トイレ問題を語る
私が外出先のトイレで個室だけを使うようになって、20年近くが経つ。
その間にトイレは、見事な上昇曲線を見せながら成長した。
床がタイル張りの和式トイレはどんどん姿を消し、レバーを触ったり踏んだりしなくても、手をかざすだけで水が流れるようになった。
荷物を置ける場所が用意されていることも多く、ウォシュレットが搭載されていることも珍しくはない。余程の場合を除いて、ペーパーだって完備されている。
まさに外出先でのトイレは清潔感を増し、多くの人が使いやすくなった。
が、それでも変わらないことがある。
それが男子トイレにおける「待ち合い場所問題」、及び「個室の用途限定問題」である。MTXジェンダー、「男子トイレ」を使う
最初に告知しておけば、私が公共の場において利用しているのは「男子トイレ」である。
理由は簡単。
「私の戸籍が男だから」
この一言に尽きる。
この件に関して私は単純に、私の心や体の状態を主張して物事を複雑にするよりも、「騒ぎ」を避けたい。
壁がないトイレに入るわけでなし、個室にさえ入ってしまえば誰からも見えないのだ。
女子トイレに入って悲鳴を浴び、見ず知らずの人にセクシャリティを懇切丁寧に説明することを想像するよりも、警察の御用になって、涙を流しながら自らの人生を披歴する可能性を考えるよりも、私が戸籍上の男である現実を採用すること。
その方が余程、公共トイレ問題に対してはメリットがある。
そして正直に告白して、私は「見た目が女性」という程でもない。
時に髪は長く、レディースの洋服も着る。顔にヒゲはなく、アクセサリーが満載の時は多い。男性としては体つきも貧弱で、すごく身長が大きいわけでもない。
結果、その仕上がりは「男性らしからぬ男性」と判断されることが、おそらく最も多い。
一連の「決着」をもって個人的には性別と決別しても尚、世の中が「性別二択システム」を採用している以上は、私は自分を「男」と指定する方が、生きる上でのリスクが小さいと判断できるのだ。
全ての判断にはもちろん、私の個人的な感情は考慮の対象となっていない。MTXジェンダー、「トイレ事情」をレポートする
男性の皆様はご承知のことでしょうが、女性の皆様はご存じないと思われるので、状況説明を交えて考えてみる。
思い浮かべながら進んで欲しい。
外出先で尿意を催した私が、男性用トイレへと進む。
入口から右手にズラッと立位用男性専用便器がある。そして左手に数個の個室がある。
個室が空いていれば良い。脇目も振らず速やかに個室へと入ればいいだけのこと。人の目につくことも少ない。
だがしかし、その個室が満室である場合にはどうだ?
必然的に私は、己の尿意に規制をかけながら、個室が空くのを待つことになる。
ここで生じるのが、『第一の問題』である。
「男性トイレには、個室が空くのを待つ場所がない」
当然のこと、入口付近でただ立っている私の横を、後から来た「己の用件は立位で済ませられる男性」がグングンと追い抜いて行く。
追い抜かれる私の風貌はどうだ? 概ね派手な柄物を着て、髪は長くネイルはバッチリ。持っているバッグだってメンズ用とは言えないデザインのものが多い。時にはスカートを履いている時だってある。
端的に、
「怪しい」
ではないか?
私だって、それくらいのことが分からずに今まで生きてきたわけではない。
私が「私は私」と思っていることが、彼らが私を怪しむことを制御できるわけでもない。
加えてある事実が、更に私を窮地へと追い込んで行く。
個室が空くのを待って私が立つ男子トイレ入口付近のこの場所は、洗面台の位置との関係上、私を追い抜いて行った「立って用を足す」男性陣の斜め後方に位置していることが多い。
ん? 果たして私は、昨今話題の将棋を意識した話をしているのだろうか?
「金」は、斜め後方に弱い。
何も見ないように目線を泳がせれば、それは物色をしていると思われる所作になり、手持無沙汰にスマホを触れば、それこそトイレでの盗撮疑惑にも直結する。
では視線をまっすぐに固定などしてみれば、彼らの斜め後方に立つ私の視界に、見知らぬ通行人の「金」が入り込んで来ることを避けることもできない。
社会は私にどうしろと言う?
そして、やっとのことで個室が空いて、私が逃げるように駆け込むその場所で遭遇するのが『第二の問題』。
この空間、ほぼ間違いなく、一大所業の直後。
「くさいっ! 汚いっ‼ わっ、何かついてるっ!!!」
家では汚さないために座位で小用を足す男子が増えたと聞く。けれどもわざわざ外出先の公共トイレにその術を持ち込む人がどれだけいるだろうか?
所詮、個室に入る男たちなど、ほぼ間違いなく個室でしか果たせない用を足しているのである。
泣きたくなって、何が悪い?
繰り返すがこの一連に、私のセクシャリティにおける個人的な感情は、記載の対象とはなっていない。これからもきっと、トイレは成長を続けていく
先日、ディスカウントストアのドン・キホーテ渋谷店が「ALL GENDER」トイレを導入したことがニュースになった。
これに対して、賛否があったことは知っている。
「ALL GENDER」と記載されたトイレに対して、「LGBT用トイレ」と見出し語を記載した記事があったと聞けば、確かに見当違いではある。
「ALL GENDER」用であるのならば、誰もが利用できることを意味しているのだ。決して、「LGBT用トイレ」ではない。
更に言えば、便利にまとめて「LGBT」という言葉が使われてはいるものの、実際のところそこには異なる2つの要素が含まれている。
「LGB」を示す「レズビアン・ゲイ・バイセクシャル」は性の志向、そして「T」を示す「トランスジェンダー」は性の自認。
公共のトイレ利用に「性の志向」は関係ないのだから、実際にトイレの使用に対して深刻な問題が生じるのは、最後の「T」だけである。
「LGBT」は「性」におけるマイノリティであることを共通項としてはいるものの、実際のところ生きづらさや困難には異なるものも多い。
そして他にも、何かと否定的な意見があるらしい。各々が、各々の立場から、意志を表明している表れなのでしょう。
けれども、誰を代表するわけでもなく、純粋に個人として、私はこのニュースを聞いて嬉しかった。
確かに「ALL GENDER」用トイレに颯爽と向かえば、その姿を見た人からは好奇の目が向けられるかもしれない。それこそ、人の目にも明らかに、心の性に典型的な容姿を獲得した人ならば、その目を避けたいと思うのかもしれない。
けれども、それこそ「多様性」と思ってもらえれば良い。
表現に正確さは欠けるかもしれない。理解に誤解もあるかもしれない。
それでも、良いじゃないの。
よちよちと歩き出した一歩を喜んで幸せとしたい。それを積み重ねていくことが、誰もが幸せになれる日への一番の近道になると、私は信じている。1日を、こうして終える
25:00~26:00
サラリーマンである私の日々の就寝時間。
気ままな独り暮らし。手酌を重ねて赤らんだ顔を恥ずかしがりもせず、パジャマにしているズボンを膝まで下ろし、電気によって心地良く暖められた便座に腰を下ろす。
多少は感覚がバカになったかも知れないけれど、明日の朝起きるまで粗相のないように、出来る限り体内にたまった水分を放出する。
今日は何時間、家の外にいただろうか?
その間、何度トイレに行き、何度同じ気持ちになっただろうか?
本日最後のトイレを安心した環境で終え、ふと思う。
トイレくらいは1日中、1人残らず、緊張することなく、委縮することなく、生理現象のままに行けたら良いな。
そして、あの日の歌になぞらえて口ずさむことがある。
『6色の虹は勇気のしるし 24時間、戦ってますよ。
セクシャル~、マイノリティ~、レインボ~、プライド~!!!』
バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/shimpeisuzuki引用元
男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男にあれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について、描いていきます。今回は「エロスよりも緊急性の高い性の問...
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