検証・新橋「女子高生集団過呼吸」叱られると過呼吸になる子供たち
先生はいったいどう叱ればいいのか
5月11日に新橋のSL広場で大騒動となった女子高生集団過呼吸騒ぎ。遠足に来た横浜の高校で、新橋での集合時間に遅れた生徒4人が叱責された。その直後に7人の女子生徒が過呼吸の症状を訴え、病院に搬送されたのだ。
そもそもこういう集団過呼吸は頻繁に起こりうるのだろうか。そして「叱る」ことは一切できない世の中なのだろうか。元新聞記者の臨床心理士・西脇喜恵子さんが解説してくれた。
集団発作とは何か
今回、高校生が次々と過呼吸症状を訴えたのは、金曜日の夕方、しかも人通りの多い駅前広場。プライバシーを保護するために大きな目張りがされ、多くのマスコミも繰り出したことで、より騒ぎが大きくなったようですが、このような集団過呼吸、挙げれば似たような事例はこれまでにもありました。例えば2017年をちょっと見てみても次のような例が報じられました。
・3月、大阪の小学校で音楽の授業中に具合が悪くなったとして、14人が病院に搬送。
・8月、京都市の高校で、上級生の練習を見学していたダンス部の生徒7人が体調不良を訴え病院に搬送。うち6人に過呼吸症状。
・11月、岡山市の小学校体育館で、音楽祭に向けて合唱の練習をしていた児童25人が過呼吸症状を訴え、病院搬送。
学校場面以外では4月に、若い世代に人気の「ONE OK ROCK」のコンサートライブで似たようなことがあったとも報じられています。
そもそも、過呼吸症候群は過換気症候群ともいわれ、極度の不安や緊張、気持ちの高ぶり、疲労などが誘因になるとされています。ストレスが原因の場合は、ストレスから不安が生じ、そのことがさらなるストレスとなって、悪循環に陥るところがありますが、基本的には一過性で、呼吸が落ち着けば症状も緩和し数時間で改善します。
今回は先生に叱られたことがきっかけのようですが、過呼吸を起こしたのは必ずしも叱られた子ではないようです。「集合時間に遅れちゃう!」と集合場所に息せき切って駆け込み、もともと呼吸が早くなっているような状態だったとも考えられます。そうだとすれば、それも過呼吸症状につながる背景のひとつになっていたかもしれません。
フランスにて、緊張感漂うセレモニー中に倒れる兵士 Photo by Getty Images
でも、本来、こういう症状は一人一人のものであるはずなのに、集団で起きるのはなぜなのでしょうか。
これには、いくつか理由が考えられます。ひとつは、遅れてきた生徒たちを先生が叱る、そのピリッと緊張した場の空気そのものが、一人一人の症状の引き金になった可能性。もうひとつは、集団心理です。
集団心理が働く場面で、おそらく多くの人に共通する記憶としてあるのが、学校の全校朝会だろうと思います。「ちゃんと聞いていないと叱られる」と姿勢を正して先生の話を聞いていたら、一人の生徒が気分の悪さを訴える。すると、それが伝染するかのように、「僕も」「私も」と具合の悪い生徒が出てくるというあれです。
社会心理学では、人は集団になると、暗示にかかりやすく、感情的な動揺が激しくなるといわれています。集合に遅れたことを叱責され、「先生に叱られたらどうしよう」という不安が現実のものとなって増幅し、高まった気持ちが集団心理と相まって、その場にいたほかの生徒にも伝わったのが、今回の集団過呼吸だったのかもしれません。
「バカ」という言葉も意味が変わる
一部で「先生の叱り方が悪い」という意見もあれば、「叱り方はそれほどきつくはなかった」とも報じられています。その場にいないので明確なことは言えませんが、「叱る」という行為はもちろん、叱られる側にとっても妥当なものである必要があります。
私は、ハラスメントの防止研修をするときに、「バカ」という言葉は信頼関係があるかどうかで受け止められ方が違うという話をします。お互いに信頼関係がある中で、「バカだな。ちゃんと約束は守れよ」と言われれば、「今度からはそうしなきゃ」と思えることも、信頼関係がない中で「お前はバカか」と言われると、それは不当な言葉としか受け止められません。
「叱る」という行為は、先生―生徒、親―子、先輩―後輩、上司―部下といった上下関係で行われることがほとんどなわけですから、余計に信頼関係は重要になってきます。
また、一部報道では、先生から「集合に遅れたから今後の部活動を制限する」と言われたといった話がありますが、遠足の集合時間と部活動は、本来、関係のないことです。先生が遠足の前から「集合に遅れたら今後の部活動は制限する」と伝えてあったのであればまた話は異なりますが、叱るときに叱られる側が嫌がるような条件をちらつかせるのは、単に反発を招いて終わるだけかもしれません。
「叱る」という行為の先には、叱る側の「こうなってほしい」「こうしてほしい」という期待があるはずです。それがきちんと示されなければ、叱られた側もなぜ叱られているのかわからず、「叱られる=怖い」体験になってしまうことすら、時にはあるのです。それではただ怖い思いをするだけで、叱られた中身は身に付きません。
とはいえ、「どんな叱り方をすればよいか」というのは難しいところがあります。
過呼吸を繰り返す子への対応とは
あるとき、過呼吸を繰り返し起こすAさんについて、その友達グループの生徒が私のところに相談に来たことがありました。「励ますつもりでかけた言葉なのに、Aさんの呼吸がだんだん早くなっていくことがあって、何をどう話せばいいかもうわからない」というのです。
過呼吸は、一度体験すると、「また起きたらどうしよう」という予期不安を生じさせますが、接する側にもまた「過呼吸を起こさせたらどうしよう」「こんな言い方をして大丈夫なんだろうか」という不安が芽生えます。そして、なるべくそうならないように、言葉を慎重に選ぶようになります。気づけば腫れ物に触るような扱いになってしまうこともあります。
それが「どう話せばいいかわからない」「どういう叱り方をすればいいんですか」という話につながってしまうのです。教育現場では、だからといって、すべてにわたって叱らない、注意を与えない、真綿にくるんだ言い方で指導するというのは、現実的な選択肢にはならないだろうと思います。
私は、相談に来た友達グループの抱える「どう話せばわからない」という気持ちを認めつつ、「話しかける内容を手控えるより、『呼吸が苦しくなりそうだったら言ってね』とあらかじめ伝えてみては?」と提案しました。それが友達グループの「わからない」という思いと、Aさんの不安の両方の緩和につながるのではないかと思ったのです。
こういう話をすると、「感情的に怒るのはやっぱりNGなんですか?」と聞かれることがあります。NGかどうかといわれれば、「NGですね」とこたえますが、怒りのコントロール(アンガーマネジメント)は難しく、最近では教員向けにもそのような研修が行われています。もし、感情的に怒ってしまったときには、「感情的に怒ってしまった事実」を素直に認め、謝罪やフォローを忘れないでください。
集団過呼吸と偏差値の関係
今回、インターネットでは、高校の具体名を挙げ、その偏差値がどうこう言っている意見もあることを知りました。でも、それは事の本筋とは異なります。偏差値と集団過呼吸とはまったく関係がありません。たとえば、理解力の乏しさが不安を高じさせ、それが過呼吸を誘発するといったようなことは時にあるかもしれませんが、偏差値の高低がすぐ今回のようなことに直結するという発想は、短絡的どころか、根拠が全くありません。
ただ、そういう声から、実は大事な視点を提起してもらっていると考えることはできます。それが、どの生徒にも理解できる細やかな教育指導の必要性です。
修学旅行や遠足などの集団行動で、集団心理が働くことはありうる Photo by Getty Images
集団で行動するときに考えたいのは、叱り方の問題だけではありません。むしろ大事なのは、脆弱性を持っていたり、発達障害のように多面的な理解が難しかったり、そういう多様な生徒がいることを踏まえ、また、今回のようなことも起こり得るというリスクを見通して、どの生徒にも理解できる細やかな事前指導をしておくといった視点ではないかと思います。
叱られている内容に納得できるか
近年、精神疾患やメンタル不調は、その事後ケアはもとより、予防に重点が置かれています。
過呼吸が、極度の不安を誘因とするのであれば、事前にその不安を低減する方策を考える。今回のケースでいえば、集合時間に遅れることで、帰りの電車に間に合わなくなる、予定時間に帰宅しなければ保護者が心配するといった、その後に起きるであろう事態をあらかじめ説明しておく。
あるいは、公共の駅前広場に大勢が長い時間滞留すれば通行人の邪魔にもなる、だから時間通りに集合するようにと、遠足の前に指導しておけば、「叱る」という行為に明確な意味づけができ、不安を不必要に喚起するのを回避できます。
今回の先生方がそういうことを説明していた可能性は大いにあります。高校生なのだからわかってなければおかしいという意見もあるかもしれません。とはいえ、一人一人の生徒が、その生徒なりにそういうことをしっかり認識できているかを確認しておくことは大切です。
そうすれば叱られる状況になった時になぜ自分が叱られているのかの認識も容易になります。その上で、「叱る」という行為が、生徒のその後の成長につながるようなフォローをしてもらえたら、さらに良いでしょうか。
そんなふうに考えると、ダイバーシティが謳われる時代、今回の事例が教えてくれたことは、教育者と子どもたちとの信頼関係の重要性と、多様な教育指導方法の必要性なのかもしれません。
引用元
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55677