小林麻央報道の「印象操作」にザワつく乳がん女子の胸の内
07.07 16:19iStock
乳がんの告知をたった1人で受ける
2013年12月20日午前11時57分、非通知でかかってきた電話は「客室乗務員訓練生として内定」の報せだった。
嬉しさと驚きで叫びたい気持ちを抑えられたのは、わたしが36歳のそこそこ自制の利く大人であったことと、「乳がんに罹患してもカスタマーフロントの仕事に寄与出来る事、病後の女性の人生でも豊かな選択が可能な事を証明したい」とエントリーシートに書き、数回の面接で大口叩いたわたしに本当に内定を出してきた航空会社に正直ビビったからだ。マジですか!?
わたしは今から10年前、29歳の時に左の乳房に約3cmの腫瘍が2つあるのが見つかった。9ヵ月前に父を肝臓がんで亡くしたばかりのタイミングだった。診断はステージⅡb期、5年以内の再発率は40%。温存手術は不可。脇に若干の転移が認められ進行している。
治療は半年の抗がん剤、左乳房全摘出手術、その後5年のホルモン治療。医師からはただ淡々と説明された。家族を呼べとも言われず、たった1人で告知を受けた。あれ?なんか、テレビと違う。相応のショックを受けながら、そんな風にも思った。
乳がんの衝撃以上に恐ろしかったのはお金についての不透明さだった。若さにかまけて医療保険に未加入だったので、治療費の一切を自分で賄わなくてはいけない。
しかし書店には、全く役に立たない愛と絆をうたった闘病記ばかりが並び、治療全体でいくらかかるのか明文化されたものは一切なかった。医師・看護師に聞いてものらりくらりとかわされて要領を得ない。転職したての会社で治療と仕事を両立することを理解してもらえるか考え出すと、心細さに叫び出しそうだった。
脇の甘さ、見通しの甘さ、自分自身への甘さ、その全てが乳がんをきっかけに露呈し始めた。若さゆえに進行が速く、若さゆえに自分を守る基盤を築けていない。こんなものが呪いのようにうらやましがられる若さなのか。親を頼るほど未熟でもなければ、自分を信じられる成熟からも程遠かった。
それでもおいおいと泣いている背中をさすってくれた彼氏の存在は大きく、家族にも支えられ、気持ちを鼓舞して治療に向かっていった。再発しなければ、治療が終わるのは36歳。それからだって結婚も、子どもも……きっと、あきらめなくても大丈夫!
抗がん剤の副作用の嘔吐を繰り返し、発熱しながらトイレの床にしゃがみ込む度に、何度も心に誓い直した。こんな吐しゃ物と脱毛にまみれた賃貸マンションの狭小ユニットバスから、絶対這い上がってみせる。だってわたしはまだ、何者にもなれていないし、まだ何一つやり遂げていないのだから。劣等感プロレスとマウンティング
わたしは治療費の為に働いた。懸命に頭を働かせていると、一瞬だけがんの恐怖から離れられた。そして仕事に時間と力を投じれば、対価として報酬だけではなく感謝と信頼までもが返ってきて、承認欲求が満たされた。
これは、うれしい誤算! 仕事を辞めてがんだけに向き合う生活をしていたら、お金の不安や自己承認の満たされなさで、きっとくじけてしまっていただろう。
がんになっても誰かの役に立てている、お金を生み出すことが出来ている。その手応えはどんな薬よりも効いた気がした。
没頭できる仕事があったのは、実際に功を奏した。抗がん剤とハーセプチンの投与で、2つあった腫瘍が消失したのだ。これは主治医も驚いて、急きょ、全摘出の予定だった手術は温存手術に変更になった。
しかし、胸を残せる!と小躍りしたのも、つかの間。術式が変わったことで、治療も大きく変更に。放射線治療が追加され、ホルモン治療に加えて1年間のハーセプチンの投与が決まった。
追加された治療の為に、引き続き湯水の如く治療費が出て行く。毎日通う放射線治療、毎日飲むホルモン剤、4週間に一度の点滴。
治す為とはいえ、これ、いつまで続くのだろう。本調子からは程遠い体調のまま、ゴールがなかなか見えない治療の日々は、周囲の人の心も疲弊させていった。
家族や彼氏と衝突する度に申し訳なさと虚しさ、そして行き場のない怒りが入り乱れ、激しい自己嫌悪にさいなまれた。つらそうな彼氏と家族を見ていると、「患者の家族は第二の患者」という言葉を突きつけられるようでいたたまれなかった。
手術から丸1年を迎え、付き合っている彼との交際も5年目。予後も良好だし、そろそろ結婚? と期待が膨らんでいったある日、わたしの元に知らない女性から「あなたの彼氏と付き合っています」と書かれたメールが届いた。
は? 「これはなにかね?」と半信半疑に問うと、「ごめん!」とすかさず土下座の彼氏。いやいやいや、即答すんなし! 情に訴え正論で責めても、その後も複数回に渡り自称・彼女(メンヘラ)にかち込まれ、土色の顔色をした彼氏の姿を見て思い知った。人生の容赦のなさはわたしががんだろうがお構いなし、恋愛は戦いなのだ。
共感と癒しを同じ乳がん患者に求め患者会とやらに顔を出してみるも、支えあいの一方で「私の方がステージ高いから大変」「若年性、若年性って、自分は若いって言いたいの?」など嘘みたいな劣等感プロレスとマウンティングが繰り広げられていた。
つらさを知っているから人にやさしくなれるけれど、一方で理不尽さに腹が立つ。そんな誰もが持ち合わせている、人のどうしようもなさを垣間見た気もした。
わたしが体験した治療生活は一事が万事こんな調子で、テレビで見聞きしたものとは全く違うものだった。生きてる人の闘病記って売れないんだよね
当時、わたしは2ちゃんねるの住人と化し、時間が出来ればパソコンの前にへばりついていた。ネットの海は広大だったが、情報リテラシーを持って泳げば有用な情報はそこかしこに漂っていた。
抗がん剤副作用の味覚異常の際、栄養を摂取しやすい食べ物や、ホルモン治療中の副作用の性交痛を和らげる高品質なジェルまで、どれほど集合知に助けられただろう。ありがとう、ひろゆき! ありがとう、おまいら!
今日も日本のどこかにいるだろう、欲しい情報にたどり着けず困っている人の何かの足しになれば—そんな思いでがんとのお金、仕事、恋愛、セックス事情をブログに公開しはじめたのが34歳。そのブログが乳がん患者や一部の好事家の間で少し話題になり、1冊の本として出版される話が動き出した頃には、5年のホルモン治療の終了を迎え、わたしは悲願の36歳になっていた。やったぜ。
そうして書籍化が少しずつ進んでいく中で、出版社の1人がこう言ったのだ。
「日本人って可哀想な話が大好きだから、生きている人の闘病記って売れないんだよね~」
ショックで声が出なかった。つまり「あんた生き残ったから、この本ウケないよ」と言われたのだ。繋いできた気持ちと時間、なにより命をつぶすような否定の言葉に目をむいた。
ではマスコミが「ウケる傾向」を追いかけた結果何が起こるかというと、たった1人のインフルエンサーの症状が「乳がんの代表症例」のように報道され、視聴者に偏った知識が広められていくのだ。そしてわたしも自分が罹患するまで、その報道に感化されていた外野だったと痛感した。
若年性乳がんの女性を題材にした某映画などはまさにそれで、乳腺外来の先生たちはみな「あんなに希な進行がんが乳がん全体のことだと思われたら本当に迷惑だ。実際の患者さんにとって何の希望にもならないのに」と怒っていた。
そして若年性乳がん治療後の結婚や出産、転職など数多くある事実に基づいた「治療の先の希望や未来」は、「大衆にはウケない」という理由で報道されないのだ。「亡くなった人の無念の方が、エラい、尊い」のか?
先日亡くなられた女性アナウンサーの方も、そんなインフルエンサーの1人だったように思う。夫や家族に愛されて、見知らぬ多くの人たちにもその存在を肯定され、応援されていた。彼女の紡いだ言葉の輝きは、同じ乳がん患者以外の方も励まし勇気づけた。それ自体はとても素晴らしいことだが、彼女のような治療環境が整えられない人たちもいる。
お金の工面がままならず、治療のストレスで周囲の人との間には愛どころか軋轢が生まれ、治療と仕事との両立が難しい――。
そうした人が日本における大半にもかかわらず、世間ではウケ狙いの報道によって、1人の闘病事例が「基準」になっているため、立ち行かなさを訴えると、それは「自己責任」だと突き放される。
「がんになったのは可哀想だけど、受け入れてくれる人がいないのはあなたの人間性が問題」
「休職を快諾してもらえないのは、非正規で働いてきたあなたのせい」
そんな風に訳知り顔で言われるのだ。
もちろん人生は不平等で、社会は理不尽だ。だけど「亡くなった人の無念の方が、エラい、尊い」と言わんばかりの風潮には、違和感しか感じない。
これはこの国の報道が、何百万人もいる当事者の事実より大衆ウケを優先し、悲しい事例と美談を喧伝して一部の人を崇め立てた結果だとわたしは思う。その報道は果たして女性アナウンサーの方が自らをさらけ出すことで社会に望んだ、乳がんを理解してもらうことになるだろうか? ならないよ。
わたしは治療生活で感じたこうした違和感をどうしても伝えたかった。今日も日本中、世界中で、医師と看護師、患者と家族は快方を目指して努力している。治療方法、ステージの違いにかかわらず、目指す方向は一緒だ。それを人のブログとYahoo!ニュースで寄せ集めた知識で、当事者が他人に否定されるのはおかしい。「若くて健康な女性の仕事」というイメージを覆す
わたしの本はその後出版元が変わり、多くの人の手を借りて、無事この世に誕生し旅立っていった。わたしは大仕事をやり遂げて燃え尽き、しばらくヘラついていたけれど、ある日「で、これから、どうするの?」と猛烈な焦りを感じた。
36歳、独身、乳がん、結婚の予定はおろか出産の予定もないけれど、あの日心から望んだ通り、わたしは何も終わっていない。人生は続いていく。
この経験には価値があったと証明したい。そして社会の中で独り歩きしている現実から乖離したがん患者のイメージを次のステージに昇華することに寄与したい。そこでわたしは客室乗務員になろうと考えた。
は? なんだ、コイツ? と思った方、正解です。わたしも我ながら何考えてんだ、と思います。ただもう少しだけお付き合いいただきたい。
客室乗務員のパブリックイメージの1つに「若くて健康な女性がやる仕事」というものがある(ような気がする)。それをたいして若くなく、乳がんの治療歴のある女が実際に出来たら、それこそ何かが少し変わるのでは、と考えた。
すべての航空会社は客室乗務員に対して「航空機乗務に際し必要な体力を有し、呼吸器、循環器、耳鼻咽喉、眼球、腰椎等に支障がないこと」という基準を設け、航空身体測定を実施している。その検査をパスすれば「健康上の問題はない」というお墨付きをもらえることと同義だ。
ザ・名案!! ブログで散文を配信しているよりも、インパクトがあり効率がよろしい!
複数回の面接と試験を経て、内定を報せる電話があったこの日にあふれた涙はここ数年の流した涙と明らかに種類の違うものだった。我ながら話が出来過ぎているように思うが、内定式の日程は、6年前の左乳房切除手術の日と同じだった。
手術の日にはその6年後に、某ブランドのお針子さん達に客室乗務員の制服の採寸をしてもらうだなんて、想像すらできなかった。
生きているって、すごい。それだけで可能性の塊だ。そう心から感じ、震えた。
2ヵ月に及ぶ訓練では、10年以上の社会人経験が気持ちいいほど役に立たなかった。30代特有の体力の落ち具合、記憶力の弱さがあらわになり、10歳以上年下の同期たちに交ざって右へ左へと息を切らして走る日々。
アラフォーになりテストの点数をみんなの前で発表されて怒られる。年の功どころか、年齢と経験が無用の長物であることを認めざるを得ない日々は、まさに人生の妙味だった(涙目)。「不自由と一緒に暮らしている方」と共に
実機でのOJTが始まると、目の前の世界の広がりに驚いた。耳が聞こえないお客様、目が見えないお客様、足の障害でリフトを用いないと搭乗が難しいお客様、事前に注射針のお持ち込みを申請される糖尿病のお客様……わたしたちの世界は「不自由と一緒に暮らしている方」と共にあること、そしてその数の多さを知った。
申告する必要がないので知りえなかったけれど、きっと機内にはがんのお客様もいただろう。
わたしは自分が働きながら足掛け6年に及ぶがんの治療をやり遂げ、ある種の万能感に浸っていた。「わたし、すごい」と。
ところがどうだろう。こんなにもたくさんの人たちが、わたしが経験した病気とは違う不自由を抱えながら毎日暮らしている。公共性が高く多くの人たちが行きかう往来で、わたしは自分の視野の狭さを恥じた。
フライトでは毎日怒られ、恥をかき、今までの社会人人生で下げた頭の倍以上、謝罪した。今では呼吸と同じ頻度で謝罪の言葉が口に出る。
わたしたちはつい自分の目の届く範囲を世界の基準にしがちだ。その了見の狭さを人の不幸や死からしか学べないのはあまりにも惜しい。
「もしかしたらこの人も、言えない不自由を抱えているのかも」。隣りの人にそんな想像力を持てるかどうかで、世界は違って見えるようだった。
29歳で乳がんが見つかって10年、5年再発率と5年生存率を超え、わたしは先日40歳になった。近頃職場では若き老害として煙たがられながらも、まだまだ新人には負けないわよ! と意気込み、文字通り新人に負けず劣らずの頻度で先輩に怒られている。
そして2年前、出会って3回目でプロポーズしてくれた世にも奇特な男性と結婚した。かつてあれほどわたしの生活の中心にあったがんは、今はもう見る影もない。がんになったことはわたしの人生の一部だけれど、がんはわたしの全てではない。
5年の治療が終わった後、客室乗務員として空を飛んだり、結婚したりしましたよ。得たものも失ったものもあるけれど、なにも終わらなかったですよ――。
それは全て結果論で、日本に数万人いる若年性乳がん患者の中のたった1人の恥多き経験談だ。役に立つようなものじゃないだろう。ただバイアスがかかりがちな日本の報道の中で、本来多様なはずの一事例として誰かに笑ってもらいたくて、わたしは今日も散文を綴っている。
松さや香(まつ・さやか)
文筆家。1977年東京都生まれ。日台ハーフ。29歳のとき、若年性乳がんに罹患。治療中に編集者、国際線客室乗務員を経験し、現在寛解。ハースト婦人画報社ELLE JAPON公式サイト『ELLE ONLINE』でブログ、小学館Oggi公式サイト『Oggi TV』でコラムを連載中。著書に『彼女失格-恋してるだとかガンだとか-』(幻冬舎刊)。秋に待望の新刊書籍を出版予定。引用元
2013年12月20日午前11時57分、非通知でかかってきた電話は「客室乗務員訓練生として内定」の報せだった。マジですか!?
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