上陸40年、「ノース・フェイス」売れ続ける理由 | 専門店・ブランド・消費財 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

上陸40年

外国人観光客の“爆買い”が落ち着き、アパレル業界では厳しい声しか聞こえない中、快走しているアウトドアブランドがある。ゴールドウインが展開する米国のアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」(TNF)だ。

詳しい数字は公表されていないが、2016年春夏シーズンのTNFの単体売上高は、前年同期比2ケタ増を記録。この夏は、特に得意とする登山・ハイキング関連用品や、競技人口が年々増えているトレイルランニング商品が売れたという。

ゴールドウインの2016年3月期のアウトドアスタイル事業関連品の売上高は341億1450万円。そのうち推計300億円はTNFの売上高で、ゴールドウインにとっては「虎の子」的な存在だ。TNFは決して安いブランドではないうえ、日本に「上陸」してから40年近く経っている。普通はこれくらい世の中に広まると“今さら感”が出てしまい、他のブランドに乗り替える層が出てくるものだが、そんな気配は微塵も感じられない。今や圧倒的なファンさえいるTNFの強さはどこにあるのだろうか。

「ライバル勢とは格が違った」

TNFは1968年、米カリフォルニア州バークレーで創業した。当初は小さなメーカーだったが、最低温度規格を明記したスリーピングバッグや世界初のドーム型テント「オーバルインテンション」などの画期的な商品を矢継ぎ早に開発。バックパッキングのブームが訪れた1970年代中盤には、全米でも有数のアウトドアブランドに成長した。

ゴールドウインがTNFと日本での独占輸入販売権の契約を締結したのは1978年のこと。雑誌「ポパイ」が火をつけた米西海岸ブームが到来し、若者が“アメリカの本物”を求めていた時代で、これ以上ないタイミングでの導入だった。

西田明男社長は「当時はアウトドア・ブームでアメリカには多くのブランドが存在したが、TNFの機能美を追求した商品は圧倒的に魅力的で、ライバル勢とは格が違った」と懐古する。

そして、1970年代のヘビーデューティー・ブーム(アウトドアウェアを街で着るスタイル)や1990年代のアウトドア、ヒップホップ・ブームと連動するように、日本市場での認知度、売り上げも右肩上がりで伸長。1994年には日本での商標権を取得し、インポートブランドにありがちな契約関係の問題も早々とクリアしている。

上陸40年近く経つTNFがいまだに顧客を魅了する理由の一つは、アウトドア商品で革新的な商品の開発を続けている一方で、ファッション性の強い商品や新規分野の開拓にも力を入れていることだ。「『TNF=山』と言うより、普段から着られる商品として認知が広がっている」と、事業統括本部の森光・ノース・フェイス事業部長は話す。

TNFが切り拓いたトレラン市場

中でも近年、売り上げ増に貢献しているのが、TNFがブームに火をつけたトレイルランニング関連商品だ。ゴールドウインがトレイルランニングのレース「TNF エンデュランスラン OSJ 箱根50K」を最初に開催したのは、2007年5月のこと。その時に記者会見に出席した私は「ずいぶんマイナーなスポーツを打ち出すんだな」といぶかしく思ったものだが、あれよあれよという間に人気スポーツに成長。2012年からは、富士山を一周する100マイル(168km)の日本最高峰のトレイルランニング・レース「ウルトラトレイル・マウントフジ」(UTMF)を主催しており、9月23日、24日に5回目の開催を無事に終えたばかりだ(雨天で規模を縮小した)。

初心者の参入は右肩上がりで増えており、そうした層が一気に必要な道具を揃える“トータル買い”が市場全体を押し上げているのはもちろん、ロードランニング以上に道具の消耗が激しいことから買い替え需要も定期的に見込める。今春夏でヒットしたのは、トレラン用に開発されたレインウェア「ストライクトレイルフーディ」。レインウェアとしてはTNF史上最軽量の110gの軽さで、レースでも練習でも街中でも使える点がユーザーに高く評価された。8月には、レース中にゼッケンが透けて見える透明のクリアカラーを追加。雨模様だった先日のUTMFでも多くの選手が着用しているのを確認できた。

ファッションブランドとしての存在感も増している。

TNFの原宿店には、外国人客も多く訪れる

ファッションの中心地である東京・原宿では、わずか100メートル範囲内に「TNF」、ファッション性の強い「TNFスタンダード」、女性に向けた「TNF3(マーチ)」、子供向けの「キッズ」の4店舗を集中出店し、ブランドの魅力を多角的に発信。TNFやTNFスタンダードで販売している「TNF パープル レーベル」は、世界各国の著名なセレクトショップでも販売されているラインで、アウトドア関連の趣味を持たない層にも高い人気を誇る。最近では、こうした日本でしか売っていない商品を求めて来店する外国人観光客も多い。

「米国のTNFは、日本の開発力にも一目置いている」と話す、森光事業部長

ゴールドウインは、大手アパレルがデザインやパターンの外注を進める一方で、デザイン、パターン、サンプル製作までの過程を社内で一貫して行える体制を維持。創業地の富山県には世界最先端の設備を備えた「ゴールドウインテクニカルセンター」を構えており、機能性とファッション性を両立させた、日本人のニーズに合った商品を開発できる環境が整っている。

本家の米TNFも、ゴールドウインの商品デザイン・開発力には一目置いている。「米国のアウトドア製品が質実剛健なのに対して、日本の商品は都市型でファッション性が高く、洗練されており、その点に興味を持っている」(森事業部長)。

「モノが売れない時代」と言われて久しいが、TNFには常に「次」を模索する姿勢がある。「すでに持っているモノは買わない、足りないモノはないという中で、欲しいものをいかに提案するか。TNFは新しいものを常に見せられていることが強みだ」と西田社長も話す。

今でこそTNFを中心としたアウトドア関連事業が好調で、2016年3月期まで8期連続で営業増益を続けているゴールドウインだが(今期はチャンピオン事業譲渡の関係で減益予想)、ほんの10年前は会社の存続が危ぶまれるほど厳しい状況にあった。2008年3月期には、営業損失20億円(純損失60億円)を計上し、3期連続の営業損失に転落。決算書には「継続企業の前提に関する重大な疑義」が注記された。

TNFなどアウトドア関連事業は好調だったものの、アスレチック関連事業と、1980〜90年代前半までは同社の主力事業だったスキーを中心とするウインター関連事業が不調に陥っており、にっちもさっちもいかない状況だった。

この時期は従来型の卸主体のビジネスモデルから、売場と在庫を自ら持つ自主管理型ビジネスへの転換を進めている最中でもあった。1980〜1990年代のスポーツアパレルの国内ビジネスの取引先は、アルペン、ゼビオ、ヒマラヤなどの大手スポーツ用品販売店が中心だった。

商品は買い取りではなく、消化仕入れ(商品をお店に置いてもらい、売れたぶんのみを仕入れとして計上する)が主体で、スキー・ブームなどで右肩上がりだった時代はそれでも良かったが、売れなくなると途端に在庫の山になってしまう問題を抱えていた。さらに、注文を受けて作る立場だったので、強化したい商品を思うように売場で展開できなかったり、売れ筋を追加しづらいという問題もあった。

最悪期に全社員で社員旅行に

「これまでも何度か危機を乗り越えてきましたが、55期(2006年3月期)の頃はもうダメなんじゃないかと思いました」と振り返る西田社長。そこで思いついたのが、全社員を集めた決起集会だった。

「自分がやらないと会社がなくなるという危機感が社員を奮い立たせた」と話す西田明男社長

「新潟中越地震の後で、その復興の手助けを兼ねて、社員旅行という名目で2000人を超える全社員を集めました。会社がこのままだと続かないという危機感を社員全員で共有してほしかったし、年齢や部署を超えて本音で話し合う場を作りたかったのです。55期だったから『ゴー・ゴー・ゴールドウイン』というスローガンで(笑)。笑い事じゃなかったですが、それから現場の全員が頑張ってくれました」(西田社長)。

2009年3月期には、営業黒字を回復。そこからのV字回復は見事なもので、2012年3月期には復配を果たした。この時にもう一度、社員全員で集まり、皆で労をねぎらったという。

この劇的なV時回復の理由は、3つに集約される。

ひとつは自主管理売り場の強化だ。2011年3月期に35%だった自主管理売上比率(直営店売上比率)は、2016年3月期には52%まで上昇。売上高では国内スポーツアパレルの4番手に位置するのは変わらないが、卸から自主管理売場主体のビジネスモデルの転換では、もっとも成功していると言っていいだろう。これにより、強化商品の仕掛け、ヒット商品の追加、在庫の適正管理といった卸主体の時にはできなかったことを自らコントロールできるようになり、確実に利益を生み出せる体制を築き上げた。

二つ目は、鮮度の高い商品を開発できるようになったことだ。この再生期に、アウトドア関連事業の展示会に行った時、王様的存在のTNFの横で、ヘリーハンセンがよりファッション性の強いアウトドアウェアを提案していて、ライバル同士のように“鮮度”を競い合っているような印象を受けた。そうしたいい意味での競争が、会社全体のファッション感度を飛躍的に引き上げたのではないだろうか。

三つ目は、チームワーク力の向上だ。「デザイナーは商品を作る、ショップ担当者は店を作る、店員は売るスペシャリストですが、自分のことしか考えていなかったら成果はあがりません。弊社の社員はスポーツ系が多いので、幸いチームワークというものに理解があります。リオデジャネイロ五輪の男子体操やリレーのように、皆のそれぞれの努力が束になった結果、今の回復があるのだと思います」と西田社長は言う。

ここ数年は業績が安定している同社だが、次代を見据えた新規事業、新規業態、新ブランドの開発にも意欲的だ。なかでも、「次世代タンパク質素材の実用化」を推進する山形県鶴岡市のベンチャー企業、スパイバーとのスポーツ衣料分野での提携は、同社の先見性を示す象徴的な取り組みと言える。

昨年、スパイバーが世界で初めて開発に成功した人工合成クモ糸素材「QMONOS」を用いたTNFの「ムーン・パーカ」のプロトタイプを発表。人工のクモの糸は、米航空宇宙局(NASA)や米軍でさえも実用化できなかった“夢の素材”と言われる。

そんな画期的な素材を用いた世界初の製品は、既存モデル(アンタークティカ)の1.5倍の価格(12万円前後)で発売される予定である(今年中の発売は見送られた)。

「ライフスタイル系」の新業態も展開

4月にオープンした「ニュートラルワークス」には、低酸素トレーニングルームやパーソナルストレッチなどができる施設もある

新業態の開発にも取り組んでいる。4月に東京・外苑前にオープンした「ニュートラルワークス」は、「ココロとカラダをニュートラルに整える」ことをテーマにしたアスレチックショップ。TNF、ヘリーハンセン、エレッセなどのブランドをミックスして、ラン、ヨガ、ジム、ライフスタイルなどのカテゴリー別で売場を構成。1階には体の内側から健康的に美しくするフードとドリンクを揃えたカフェを、3階には低酸素トレーニングルーム、水素吸入、パーソナルストレッチなどのサービスを提供する施設を備えている。

また、1976年から展開しているイタリアのスポーツブランド、エレッセのリブランディングも推進している。16年秋冬シーズンから、若い女性に人気のあるファッションブランド「ユージュ」のデザイナー、弓削匠さんがデザインを手掛ける新ライン「エレッセ オーセンティック アスレチック」をスタート。錦織圭選手の活躍でブームの兆しのあるテニスとファッションを結びつける試みで、自社店舗のほか、セレクトショップなどへも販路を拡大して行く方針だ。

私が思う同社最大の課題は、社名をブランド名に冠した「ゴールドウイン」が、スキー、モーターサイクル、ライフスタイル分野のみの展開に留まっていることである。今のTNFの商品開発力を鑑みれば、巨大なライバルがひしめくランニングやアスレチックの主力市場に打って出ても、勝算は必ずあるのではないだろうか。

(撮影:今井 康一)

  • ゴールドウインの会社概要 は「四季報オンライン」で

引用元

外国人観光客の“爆買い”が落ち着き、アパレル業界では厳しい声しか聞こえない中、快走しているアウトドアブランドがある。ゴールドウインが展開する米国のアウトドアブランド「ザ・ノース・フェイス」(TNF)だ…
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 班目幸寛(まだらめゆきひろ) フェイスブック ページへ  友達申請を是非♪  1978年生まれの宮城県出身。  元々は建築科、専門学校卒業後、建築関連の仕事に就いたがが、当人がADHDの気があり(白に近いグレー)、その時の苦労を元にカウンセラーのキャリアをスタート。  カウンセリングのメインは発達障害のカウンセリングだったが、カウンセリングを行うにつれ幅が広がり『分かっているのにできない、やめれない事』等、不倫の恋、経営者の意思決定なども行う。(相談案内へ)  趣味はバイク・自転車・アウトドア・ミリタリーグッズ収集・国内外旅行でリスクティカー。 『昨日よりも若くて、スマート』が日々の目標。  愛読書はV,Eフランクル 放送大学 心理と教養卒業 / 臨床心理プログラム 大学院 選科履修

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