永く生きていると、人間壁にぶち当たります。人間関係や経済的なこと。
人それぞれですが悩みの種はいつの時代も『人間関係』と『お金』ではないでしょうか。
フランクルに学ぶ―生きる意味を発見する30章")
『 生きているうえで痛みを伴うのは当たり前、それでも前に進もうか?』と優しく諭してくれる一冊。
ここ十年で久々に、本で大きく考え方を変えてくれる良書で個人的には今後、こんな本には当面出逢えないと思っています。
『夜と霧』はあまりにも有名。
フランクル先生のウイットに富んだ笑いのある人生、人を思いやる気持ち、精神科医としての腕前。
私、まだらーのカウンセリングのV.Eフランクルがベースになっています。
Viktor Frankl
ヴィクトール・フランクル生誕 1905年3月26日
オーストリア ウィーン レオポルトシュタット 死没 1997年9月2日(92歳)
オーストリア ウィーン 国籍 オーストリア 職業 精神科医、心理学者 ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、1905年3月26日 – 1997年9月2日)は、オーストリアの精神科医、心理学者。著作は多数あり日本語訳も多く重版されており、特に『夜と霧』で知られる。
目次
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- 1来歴
- 2著作(日本語訳)
- 3研究・関連書
- 4出典・脚注
- 5関連用語
来歴[編集]
1905年にウィーンに生まれる。ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。
ウィーン大学医学部精神科教授、ウィーン市立病院神経科部長を兼任する。「第三ウィーン学派」として、また独自の「実存分析」を唱え、ドイツ語圏では元々知られていた。フランクルの理論にはマックス・シェーラーの影響が濃く、マルティン・ハイデッガーの体系を汲む。精神科医として有名であるが、脳外科医としての腕前も一級であった。
1933年から、ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、ナチスによる1938年のドイツのオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。1941年12月に結婚したが、その9ヶ月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年10月にアウシュビッツに送られたが、3日後にテュルクハイムに移送され、1945年4月にアメリカ軍により解放された。その後1946年にウィーンの神経科病院に呼ばれ、1971年まで勤務した。1947年に再婚している。
強制収容所での体験をもとに著した『夜と霧』は、日本語を含め17カ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれている。発行部数は、(20世紀内の)英語版だけでも累計900万部に及び、1991年のアメリカ国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテンに入ったという[1]。他に読売新聞による2000年の「読者の選ぶ21世紀に伝えるあの一冊」のアンケート調査で、翻訳ドキュメント部門第3位となったとされる。
よく誤解されるが、フランクルのロゴセラピーは収容所体験を基に考え出されたものではなく、収容される時点ですでにその理論はほぼ完成されており、はからずも収容所体験が理論の正当性を検証することとなった[2]。
極限的な体験を経て生き残った人であるが、ユーモアとウィットを愛する快活な人柄であった。学会出席関連などでたびたび日本にも訪れていた。
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