両親虐待の出戻り姉!父急死で相続決着前に追い出した妙手
04.27 08:00ダイヤモンド・オンライン
「同居親族間の暴力」と聞いて、あなたはどんな状況を思い浮かべますか?例えば、育児ノイローゼの母親が幼子を折檻する、不良息子が口うるさい父親に殴りかかる…そんな悲惨な暴力事件が日々、報道されますが、意外と表に出てこないのは「成人した子どもが加害者」「年老いた親が被害者」のケース。実際のところ、被害者の家族が市町村の窓口へ相談した件数は平成18年は1万8390件、平成26年は2万5731件(厚生労働省の高齢者虐待対応状況調査)で、高齢者の虐待被害の通報は8年で約3割も増えています。
もし、「親と同居し介護している子ども」が加害者だとしたら、わざわざ通報するのは少数派です。ここには「同居も介護もしていない家族からの相談」は含まれていません。今回紹介する持田健さんも、実家で暮らす姉の両親に対する虐待に悩んだ1人です。両親と同居の出戻り姉と子どもたち 父が亡くなり残されたお母さんに虐待が続く
この連載では今まで「男女トラブル」を扱ってきましたが、今回は親の介護をめぐって勃発した「姉(女)vs弟(男)」の構図です。健さんは、姉や姉の子どもたちからの暴言や暴力の被害に悩む両親から「一緒に住みたい」と相談を受けていましたが、家族会議の末、「両親のことは姉に任せる」と決めたので、途中で横やりを入れて姉と両親の関係にヒビが入るのは避けたいと静観を続けていました。そんな矢先、お父さんが亡くなりました。
姉は、夫(お父さん)を亡くし、寂しい思いをしているお母さんをいたわるどころか、お母さんに対して虐待を続けていました。「お母さんに対する虐待をやめさせたい」一心で健さんは私のところへ相談に来ました。健さんの希望はただ一つ。姉を実家から追い出し、お母さんから引き離すことです。今回のケースでは、お父さんの遺産相続が完了する前に、姉に実家から出て行ってもらうことに成功しました。
<登場人物(名前は仮名)>
本人:持田健(46歳。会社員)
姉:持田直美(48歳。家事手伝い)
姉の息子:持田拓海(26歳。フリーター)
姉の娘:持田七海(24歳。大学院生)
父:持田清(78歳で死去)
母:持田京子(77歳。年金暮らし)姉が父に暴行、父の悲痛 「娘には出て行ってほしい」
健さんの姉は18歳で高校を卒業した後は職を転々とし、21歳のときにできちゃった婚。2人の子どもに恵まれたのですが、28歳のときに離婚し、実家に子どもを連れて戻ってきました。しかし、姉は浮浪癖がある上に、定職につかず、パートを始めては数ヵ月で辞めるという繰り返し。元夫もまともに養育費を払おうとしないので、姉と子ども2人にかかる生活費、教育費、学費はすべて実家の両親が工面していました。
だから、姉は両親にいくら感謝しても感謝しきれず、頭が上がらないはずなのに、妙にプライドが高く「実家へ出戻り」「いい歳して親のスネをかじっている」「他に行くところがない」ことに恥ずかしさや後ろめたさを感じていたのでしょうか。姉と両親は事あるごとに喧嘩を繰り返していました。姉は「こんな家に産まれてくるんじゃなかったわ!」と中二病のような捨て台詞を吐くことも多々あり、離婚から20年間、何食わぬ顔で実家に居座り続けたのです。
「姉も離婚で苦労しているし、可愛そうな部分もあるので、僕も姉には同情しているんです」
健さんにも家庭があり「姉を追い出して自分が実家で暮らし、両親の面倒をみる」という選択肢はなく、「姉が実家に住み、両親の世話をする」のが自然な流れでした。
ところが姉親子は両親に「じじぃ臭いわ!」「汚いから近寄らないでよ!」「もう!早く死ねばいいのに!!」と寄ってたかって暴言を浴びせ続けたそうです。「娘」「孫」からの虐待だからこそ、両親が受けた苦痛は倍増して、際限なく繰り返される嫌がらせやいじめに頭を抱えていました。姉と子どもたちの悪態はますますエスカレートしていき、「口撃」にとどまらず、ついには暴行事件に発展したのです。
足腰が弱っていたお父さんは、7年前から補助車のついた歩行器を伝わないと歩けないほど。実家の中を移動するのも一苦労で、一歩一歩に時間を要しました。その日の姉は虫の居所が悪かったのか、「のろのろしてるんじゃないわよ!もう邪魔!!」と部屋からトイレに向かうお父さんに対して大声で言い放ち、お父さんを両手で突き飛ばし、玄関から外へ出て行ったのです。お父さんはその勢いで廊下の床に顔から倒れてしまい、全身が痣だらけになり、整形外科で診察を受けました。後日、健さんはお父さんからそのことを聞かされ「直美(姉)には出て行ってほしい。お前(健さん)が来てくれれば」と言われたのです。父が残した遺言 姉には「土地、家渡さない」と明記
そんな矢先、お父さんは78歳で亡くなりました。お父さんは残されるお母さんのことを案じたのか、生前に遺言をしたため「何かあったときは」と言い添え、お母さんに託していました。健さんがお母さんから遺言の存在を聞かされたのは四十九日法要が済んで多少、落ち着きを取り戻した頃です。
ところで遺言は自筆証書遺言と公正証書遺言の二つに分かれます。公正証書遺言の場合、公正役場で公証人立ち会いのもと本人が署名捺印します。本人が亡くなり、相続を開始する前に、遺言の発見者が勝手に中身を書き換える可能性があります。そのため、遺言の原本は本人だけでなく、公正役場でも保管しておきます。もし、発見した遺言と公正役場の遺言に相違があった場合、改変の事実が明るみに出るので安心です。
残念ながら、お父さんが残したのは公正役場を通していない遺言(自筆証書遺言)でした。自筆証書遺言の場合、遺言を無断で改変していないかを相続の手続を始める前に裁判所で確認しなければなりません(=検認)。そこで健さんは家庭裁判所へ開封前の遺言を持参し、「遺言書の検認」の申し立てを行いました。
遺言の封筒を開封すると、そこには「京子(お母さん)と健にすべて任せる。2人で持田の家を守ってほしい」と書かれていました。
「遺留分を無視して勝手に進めないでよね!遺留分があるんだから、うちから出ていくつもりはないの!!」と姉は裁判所内で、近くに裁判所の職員がいるにもかかわらず激昂しました。お父さんが「娘にはビタ一文、渡さない!」と言い切るほど生前に恨まれ、嫌われ、煙がられていた…姉に自覚がなく、不意打ちを食らったのなら、そんなふうに取り乱すのも当然といえば当然です。
両親を虐待する出戻り姉!父急死で相続決着前に追い出した弟の妙手(下)
姉が言う「遺留分」とは、どんな遺言が書かれていても残る相続分のことを言います。姉は直系尊属なので遺留分が認められ、今回の場合、遺産全体の8分の1。遺留分の存在は健さんも承知していたのに、この言われ様でした。
親族である母、弟(健さん)に「法律を守らない無法者」というレッテルを貼ったり、濡れ衣(遺留分を無視して遺産を独り占めする)を着せるような物言いをするのは明らかに異常で、健さんは頭を抱えざるを得ませんでした。
「姉の暴走」という一悶着はあったにせよ、お母さんが託された遺言は今まで誰も中身に手を触れておらず、改変の疑いもないので、検認の手続は無事に終わりました。同時に姉とお母さん、健さんの間に遺恨を残したのも確かです。それまで、姉は両親の通院の送迎を自動車で嫌々ながらも行っていましたが、遺言の一件以来送迎を拒否するようになりました。健さんや健さんの妻は、自宅から片道1時間の実家に出向きお母さんの病院の送迎をするなど大きな負担を強いられました。
さて実家の土地、建物の権利関係はどうなっているのでしょうか?どちらもお父さんがすべての所有権を有しており、お父さんの遺産は合計1570万円。
<遺産の一覧>
1.土地 780万円
2.家屋 560万円
(土地、家屋は市税務課発行が発行した平成28年の土地・建物課税明細書より)
3.預貯金 230万円遺留分をお金ではなく
家の権利で求めてきた姉お父さんが生前、姉に実家の権利を贈与しなかったのは、このような事態を案じていたのかもしれません。前述の通り、姉の遺留分は8分の1なので、健さんとお母さんは姉に対して約196万円(1570万円×8分の1)に相当する財産を渡せば帳尻が合います。
まだ相続の手続が完了していないので、お父さん名義の預金口座からお金を引き出すことはできませんが、健さんは自腹で196万円を立て替える用意がありました。正式に「姉は実家の所有権を相続しない」という結論に達すれば、健さんは姉に対して「権利を持っていないのだから出て行ってほしい」と伝えても問題ありません。
そこで健さんは姉と決着をつけるべく実家へ乗り込み、「遺留分の196万円を渡すから、ここに住み続けることはあきらめてほしい」と投げかけたのですが「私が196万円もらえるのは分かったけれど、お金じゃなくて家の権利を分けてよ!」と言ってきました。
万が一、お金の代わりに土地や建物の権利を姉に渡してしまえば、姉は所有権を盾に実家へ立てこもるでしょう。実家から追い出すことは、ますます難しくなるので絶対に避けなければなりません。
相続の手続が完了する「前」に
姉を実家から追い出すには健さんは、親戚を交えて姉と話し合おうとしましたが、親戚もキレやすい性格の姉を厄介者扱いし、なかなか協力を得ることはできませんでした。八方塞がりになった健さんが私のところに相談に来たのは検認が終わってから約1年後のことでした。
まず最初に考えたのは、実家の権利を持っていない姉が今まで実家に住み続け、そして今後も住み続けようしているのは「当たり前のこと」なのかどうかです。
誰がどの遺産を受け取るのか…もし相続の手続きが完了するまでの間、姉が無償で居座り続けることが許されるのなら、姉はどんな行動をとるでしょうか?健さんの話を無視し、わがままを言い続け、わざと相続手続きを遅らせて「時間稼ぎ」を企むに決まっています。相続の手続が完了する「前」に姉を追い出すにはどうしたらいいのでしょうか?
相続手続きが完了するまでの間、所有権を有していない相続人(姉)が無償で実家に居住し続けるための条件は、過去の裁判例(平成8年12月17日、最高裁判決)によると、今回の場合お父さんが「亡くなった後も住み続けてもいい」と認めていた場合、もしくは認めていたと推測される場合に限られます。
健さんは「『直美(姉)には出て行ってほしい。お前(健さん)が来てくれれば』と父は確かにそう言っていました」と言います。今回の場合、上記の条件(故人が「住み続けてほしい」と言っていた)を満たしていないのは明らかです。
健さんはそのことを踏まえた上で姉と話し合うことにしました。上記の裁判例を示した上で「遺産相続が終わってからじゃない。今すぐ出て行ってくれないか」と姉に頼みました。姉は裁判例から自分が住む権利は保証されていないと知り、多少は動揺して心を乱したのも束の間、得意の「駄々こね」で激しく抵抗してきたのです。
姉に実家から出て行くことを
承知させた弟の強い覚悟健さんは姉の暴力が原因で、お父さんが怪我をした件を問いただしました。当時、姉はお父さんを介抱せず出かけたので、怪我の具合を把握すらしてなかったので「そんなこと知らないわ!」と逆上してきました。しかし、私は姉が暴行の事実を認めないこと見越して、健さんに診察した整形外科で診断書をもらっておくよう頼んでおきました。
健さんが診断書を提示したため、さすがの姉も暴行の事実を認めたものの「2年以上前のことなんだから、もう時効でしょ!昔のことを今さら蒸し返すなんて頭がおかしいんじゃないの!!」と難癖をつけてきました。これも想定内だったので、傷害罪の時効は事件発生から10年(刑法204条)だということを私はあらかじめ健さんに助言しておきました。
「家族なのに無下に事を荒げるなんて頭がおかしいじゃないの!どういう神経をしているの!?あんたこそ『身内の恥』だわ!!」と姉は健さんの人格否定に走りました。
「どうせ途中であきらめるに決まっているわ。本気じゃないでしょ」と姉は鼻で笑って事の重大さを軽んじているように健さんの目には映ってました。健さんは「誰に何と言われようと手を緩めるつもりはないよ」と前置きした上で「2週間以内に出て行ってくれないと警察署に被害届を提出することも検討しないといけないから」と警察を介入させることをも厭わない覚悟を示したのです。
姉に遺留分を現金で払い
遺産相続が無事完了姉はようやく自宅に居座り続けるのは不可能だと観念したのか「もう少し待ってほしい。こっちも準備があるから」と言い、ようやく立ち退きの意思を示したのです。そして姉と子どもたちの部屋にある家財等をすべて持ち出すこと、そして退去にかかる費用は姉が負担することで話がつきました。健さんは姉の気が変わらないうちに遺留分の196万円を姉の口座に振り込んだ上で、姉に遺産分割協議書へ署名させました。協議書等の書類を法務局に持参し、所有権移転登記の手続を済ませることで、ようやく実家の権利をお父さん10割から、健さん5割、お母さん5割に書き換えることができたのです。
姉と子どもたちの退去、遺産分割協議書への署名、そして自宅の名義変更…お父さんが亡くなってから12ヵ月もの時間を要しました。もともと両親は前々から健さんに対して何度も「(姉に)出て行ってほしい」と口にしていたにもかかわらず、なぜ健さんはお父さんが亡くなるまで動かなかったのでしょうか?
「家族の話し合いで両親のことは『姉に任せる』と決めたからです。僕が横からしゃしゃり出ることで姉と両親の仲をぎくしゃくさせたくなかったんです」
露木さんの著作『男の離婚 賢く有利に別れるための6つの成功法則 慰謝料・養育費・親権・財産分与・不倫・浮気』が好評発売中です 健さんは後悔の念を口にしますが、第一に本人同士が話をすべきだと考えていたようです。しかし、お父さんは生前、姉との間でほとんど会話はなく、虐待を「やめてほしい」と直接、姉に伝える機会もなく、ただただ我慢し続けるしかありませんでした。過去の虐待がお父さんのトラウマになっており、「また暴力を振るわれるのではないか」という恐怖心に苛まれていたため、何も言えなかったであろうことは想像に難くありません。
結局のところ、姉は暴力を振るうことでお父さんの「口封じ」をしたようなものですが、暴力で相手を屈服させるようなやり方は絶対に許されません。それなのに健さんは姉が自らの過ちを悟ることを期待して様子を見続けてきたのですが、残念ながら時間の無駄でした。なぜなら、姉等の両親に対する暴力、嫌がらせ、いじめ等の行為は悪化するばかりで、最後まで改心の兆しは見られなかったのですから。
「悔やんでも悔やみきれません」
健さんはそう懺悔しますが、実の父を傷つけても何とも思っていないような卑劣な輩を放置してしまったことに変わりはありません。お父さんがどんな気持ちで先立ったのか…そんなふうに思いをはせると健さんは躊躇せず、もっと早い段階で行動を起こすべきだったのではないでしょうか。
(露木行政書士事務所代表 露木幸彦)
引用元
http://diamond.jp/articles/-/124819?utm_source=linenews&utm_medium=refferal
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