消しゴム食べ、一人で高速道路へ 母は「私が悪いんだ」:朝日新聞デジタル

■認知症の母を見つめて:2(マンスリーコラム)

今から10年前の冬、私の母(当時66歳)に「前頭側頭型認知症」という聞きなれない病名が告げられた。記憶は保たれるが、思考や判断、感情をつかさどる脳の部分が萎縮するため、母は別人のようになってしまった。表情豊かだった顔は能面のようになり、おしゃべりもめっきり減った。



 認知症には複数の種類があるが、アルツハイマー型が最も多く、前頭側頭型は数%ほどしかないという。当時ネットで「認知症」と検索しても、出てくる情報はアルツハイマー型のものばかり。母の症状に当てはまらず、途方に暮れていた。

 前頭側頭型の初期症状は、初老期のうつ病や統合失調症などと似ており、プロでも診断が難しいという。母の場合は、正しい診断がつくまで5カ月かかったが、それでも短い方だったようだ。

 診断の翌月、母は「要介護2」と認定された。

■めんつゆのボトルを

 妹夫婦のマンションで母が同居を始めてから、さまざまな「事件」が起きた。トイレに何度も通う常同行動に加え、異食(食べられないものを食べてしまうこと)が見られるようになった。

 一つは「消しゴム事件」。白い物体を包丁で切ったような破片がキッチンにあるのを、妹が発見した。白い消しゴムだった。お餅か何かと勘違いして、母が切って食べてしまったらしい。

 もう一つは「めんつゆ事件」。母が冷蔵庫の前にしゃがみこみ、めんつゆのボトルをラッパ飲みしているのを、妹が見つけた。慌ててやめさせ、水を飲ませたら吐きだしたが、塩分が多かったせいか、後で顔がむくんでしまった。母は「牛乳だと思った」という。

■「車がよけていった」

 母は次第に希死念慮(死にたいという願望)が行動に出るようになった。同居のせいで、妹夫婦に迷惑をかけていることを気にしていたようだ。もしかしたら、認知機能の低下でうつ状態になっていたか、当時処方されていた向精神薬の副作用があった可能性もあるが、よくわからない。

 父が目撃したのは「高速道路事件」。妹宅のマンションの近くに高速道路の高架に上れる外階段があり、高速バスの停留所に行けるようになっていた。ある日、父が妹宅を訪ね、母を昼の散歩に連れ出した。「あの高速道路まで上ってみたい」と母に言われ、父は母を連れて外階段から高速道路へ。その後2人は階段を下りて妹宅に戻った。玄関のドアを開け、父が振り返ると、さっきまで一緒にいた母がいない。「しまった!」 慌てた父は、とっさの判断で高速道路に戻った。発見した時、母は高速バスの停留所にたたずみ、車道をぼーっと見つめていたという。

 その時の母は終始無言だったが、後から妹にぽつりと言ったという。「私、死のうと思ったんだけど、車がみんなよけていったの」

■ベランダから飛び降りようと

 妹宅に電話をかけるたび、何かしら事件が起きていた。毎日、仕事の合間に職場の廊下から電話をかけ、妹から報告を聞く。そんな私は、母の信じられない行動に肝を冷やしたり、ため息をついたりするだけの無力な存在だった。ときどき電話で母に「お母さん、死んじゃダメだよ。死んだらみんな悲しむよ」と声をかけたが、複雑なやりとりはできなかった。

 ある夜、もっと重大な事件が起きた。

 夕食後、母が「トランプしよう」と妹を誘った。トランプは毎晩のようにしていたが、その日疲れ切っていた妹は断った。母は部屋で一人でしゅんとしていたが、しばらくすると妹宅のベランダに出て、そこから飛び降りようとしたのだ。妹が必死で止めてもあきらめず、塀に片足をかけてよじのぼろうとしたという。

 妹の夫が後ろから母の腰を両腕で抱え、引きずり下ろした。母はその場にへたりこんで動けなくなり、事なきを得たが、母は「私が死んだ方がみんな幸せでしょ……」とぽつり。

 「うち6階だから飛び降りたら死んじゃうよ。たまたま夫が家にいたから何とか止められたけど、私一人だったらお母さん死んでたよ」と妹は困り果てた様子で言った。

■デイサービスで笑顔に

 母は介護保険を利用して、週2回デイサービスに通うようになった。地元で2カ所の施設へ1回ずつ。どちらも周りは白髪のお年寄りばかり、母は断トツで若かった。それでも、もともと人と交わることが好きな母は、デイサービスでの歌や体操といった活動が気に入ったようで、帰ってくると「楽しかったー!」とニコニコしていた。

 一方、妹は介護疲れで心身共に限界に。母と一緒にいる間は一瞬たりとも目が離せない。デイサービスの利用だけでは全く気が休まらず、イライラして母に辛く当たることもあった。怒ってつい手が出ることもあり、そのたびに自己嫌悪に陥っていた。「お母さんごめんね」と妹が謝ると、母も「あなたは悪くない。私が悪いんだよ」と謝ったという。

 母が通っていた二つの施設のうち、一つにはグループホームが併設されていた。見学したところ、住環境がいい。寝たきりの方が多い特養と比べると、グループホームの入居者は要介護度が低いため雰囲気が明るい。しかもタイミングよく空室が出たとの連絡が入った。

 「お母さんは、私と2人きりで過ごすより、いろんな人と関わった方がいいと思う。でも住む環境が変わって症状が悪化したらどうしよう」と妹。「ここは賭けだけど、プロにお願いしてみよう。かえってよくなるかもしれない」。私は妹の背中を押した。母に希死念慮が出ることがネックだったが、それも隠さずホーム側に伝えたところ、ホームの責任者からは「何とかしてみましょう。環境が変われば症状が治まるかもしれません」と言われ、入居の了承を得た。

 認知症発症から10カ月後の2007年5月、母は妹宅を離れ、地元のグループホームに入居することになった。

 (次回は2月2日に配信する予定です)(山口真矢子)

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 山口真矢子(やまぐち・まやこ) 1992年朝日新聞入社。出版部門で雑誌編集・週刊誌記者、新聞部門にて地域面編集などを経験。2009年より教育事業部門に所属。就活サイト「あさがくナビ」副編集長。

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 朝日新聞デジタル編集部「マンスリーコラム」係

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引用元

■認知症の母を見つめて:2(マンスリーコラム) 今から10年前の冬、私の母(当時66歳)に「前頭側頭型認知症」という聞きなれない病名が告げられた。記憶は保たれるが、思考や判断、感情をつかさどる脳の部分…

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 班目幸寛(まだらめゆきひろ) フェイスブック ページへ  友達申請を是非♪  1978年生まれの宮城県出身。  元々は建築科、専門学校卒業後、建築関連の仕事に就いたがが、当人がADHDの気があり(白に近いグレー)、その時の苦労を元にカウンセラーのキャリアをスタート。  カウンセリングのメインは発達障害のカウンセリングだったが、カウンセリングを行うにつれ幅が広がり『分かっているのにできない、やめれない事』等、不倫の恋、経営者の意思決定なども行う。(相談案内へ)  趣味はバイク・自転車・アウトドア・ミリタリーグッズ収集・国内外旅行でリスクティカー。 『昨日よりも若くて、スマート』が日々の目標。  愛読書はV,Eフランクル 放送大学 心理と教養卒業 / 臨床心理プログラム 大学院 選科履修

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