生活困窮や貧困の問題を考えるとき、見落とされがちなのは障害のことです。知的障害にあたる状態でも、障害の認定を受けていない人が大勢います。障害が見過ごされていることが多いのです。知的能力が境界域(ボーダー層)で障害とされないレベルの人も相当います。発達障害、精神障害についても似た状況があります。生活保護や生活困窮者支援を現場で担当する職員に聞くと、そういう人たちに日常的に出会うと言います。
軽度の知的・発達・精神障害の人たちは、社会生活でうまくいかない場合があるほか、就職を望んでもなかなか採用されないこと、働いても長続きしないことがあります。これは能力の個人差に加え、産業構造の変化も関係しています。単純労働や職人的な仕事が減り、求人の多くがコミュニケーションや複雑な判断を要する仕事になってきたからです。自分の生活費を稼げないのは努力不足だ、働く能力があるのに生活保護を受けている、などと簡単に自己責任にできるような問題ではないのです。
知的障害の原因は様々です。染色体や遺伝子の異常、母胎環境の異常といった生まれつきの場合が約8割とされますが、出産時のトラブル、生後の感染による脳炎、外傷、窒息、虐待などでも生じます。
知的障害のある人は、障害者手帳(療育手帳)や障害福祉サービスの対象になり、障害の程度が一定以上なら障害年金を受けられます。このうち療育手帳は、知的障害者福祉法にも児童福祉法にも規定がなく、1973年の厚生事務次官通知に基づき、都道府県または政令市が規則や要綱によって、障害と判定した人に発行しています。東京都は「愛の手帳」という名称で4段階に分けていますが、自治体によって重いほうからA、B1、B2の3段階だったり、A、Bの2段階だったりします。おおむね18歳未満までに生じた障害が対象になるようです。
知的能力とは何かを定義するのは難しいことです。そこで開発されたのが知能指数(IQ)を算出する検査です。よく使われるウェクスラー型知能検査では、同じ年齢の母集団の平均得点を100とし、本人の得点がそこからどれぐらいずれているかを示します(田中ビネー知能検査でも成人では同様の算出方法を用いる)。ただし、知能指数の検査だけで知的能力の総体は測定できません。身体運動能力の総体を算出できるテストがあるかというのと似た話でしょう。
実際の障害の判定では、知能指数だけでなく、生活の状況や介護の必要度なども加味して総合的に判断します。その際、重度のIQの目安は国が35としていますが、軽度のIQの目安は、75程度以下としている自治体もあれば、70程度以下とする自治体もあります。障害とされる範囲が地域によって違うのは妙なことです。なぜ国レベルで法律に基づいて統一した基準を作らないのか、不思議です。
東京都心身障害者福祉センター「愛の手帳」の判定の目安(18歳以上の場合)
区分 | 知能指数 | 社会生活 | 具体的には、たとえば |
4度 (軽度) |
おおむね 50~75 |
簡単な社会生活の決まりに従って行動することが可能 | 日常生活に差し支えない程度に身辺の事柄を理解できる。新しい事態や時や場所に応じた対応は不十分。日常会話はできるが、抽象的な思考が不得手で、こみいった話は難しい |
3度 (中度) |
おおむね 35~49 |
何らかの援助のもとに社会生活が可能 | ごく簡単な読み書き・計算ができるが、それを生活場面で実際に使うのは困難。具体的な事柄の理解や簡単な日常会話はできるが、日常生活では声かけなどの配慮が必要 |
2度 (重度) |
おおむね 20~34 |
社会生活には個別的な援助が必要 | 読み書きや計算は不得手だが、単純な会話はできる。生活習慣になっていることであれば、言葉での指示を理解できる。ごく身近なことは身振りや2語文程度の短い言葉で自ら表現できる。日常生活に個別的援助を必要とすることが多い |
1度 (最重度) |
おおむね 19以下 |
生活全般にわたり常時、個別的な援助が必要 | 言葉でのやり取りやごく身近なことの理解も難しい。意思表示はごく簡単なものに限られる |
療育手帳交付台帳の登載人数は2015年3月末で、97万4898人。14年10月の推計人口1億2708万人を分母にすると、0.77%です。年齢層別で見ると、18歳未満の手帳交付者は24万6336人(人口比1.24%)、18歳以上は72万8562人(人口比0.68%)です。
一方、十分に大きな集団で知能検査をすると、その得点の分布は「正規分布」という釣り鐘に似た形のグラフになります=図。ウェクスラー型知能検査で、ばらつきの程度を示す標準偏差は15なので、統計学的な理論値は、IQ70以下なら人口の2.28%、75以下なら4.78%になります。単純計算すると290~607万人、現状の3~6倍が手帳を取得してもおかしくないわけです。
知的障害レベルでも療育手帳を持っていない人が非常にたくさんいることは、確実です。年配の人の場合、かつては特別支援教育も不十分で、周囲も本人も知的障害と思わずに過ごしてきたケースが多いのでしょう。若い世代でも、普通に高校を卒業して、30代になって知的障害ではないかと言われ、療育手帳を取った人もいます。なかには大学卒でも知的障害と思われる人がいます。
さらに、知的障害の判定は人工的な線引きにすぎません。人の能力の分布は連続的なので、それより少し上の層の人たちも、社会的にある程度、不利になりやすいわけです。そういう層を、明確な定義はないものの、IQ80または85までを目安に「知的ボーダー」と呼ぶことがあります。理論的にはIQ80以下は人口の9.12%、IQ85以下だと15.9%にのぼります。同じ学年の1割前後が知的能力の面で不利というのは、実感とかけ離れたものではないでしょう。
知的なハンディキャップのある人も、感情は一般の人と変わらず、プライドもあります。軽度の知的障害の人の場合、日常会話は普通にでき、筆者の経験上も、少し話したぐらいでは障害とわかりません。運転免許を取る人も少なくありません。根気のいる単調な作業は得意な人が多いようです。
一方、たくさんのことを長く覚えていることや、抽象的な概念、複雑な思考は苦手で、言葉の表現力が乏しいのが一般的です。計画立てた生活や計画的な金銭管理も苦手です。悪徳商法など他人にだまされやすい傾向もあります。そうしたことが、就労時の不利やトラブルに加え、生活面での困窮にもつながりやすいわけです。計画性の不足や劣等感を背景に、パチンコやギャンブル、酒などにはまってしまうこともあります。
一部には万引きをはじめとする刑事事件を繰り返す人もいて、刑務所の受刑者には、知的障害の人がかなり多いことが指摘されています。しかし、ほとんどは療育手帳を持っていません。本来は刑罰以前に、障害への気づきと福祉的支援が必要な人が多いのです。
ホームレス状態の人の場合、1990年代後半から2000年代前半は、生活に困って仕方なく路上で暮らしている健常者が多いと、筆者はインタビュー取材を重ねていて感じました。その後、生活保護の適用などで人数が減るにつれ、路上に残っている人は知的障害や精神障害を持つ割合が高くなったようです。2010年4月20日の読売新聞(大阪、西部)朝刊に載せた筆者の記事の一部を紹介します(現時点に合わせて一部の表記を修正・補足)。
北九州市の委託で自立支援センターを運営するNPO法人北九州ホームレス支援機構(現・NPO法人抱樸)によると、センター開設から09年6月まで約5年の間に利用を終えた492人のうち、約3割にあたる140人が市の判定を受けて療育手帳を取得した。最近の入所者では4割を占める。
多くは軽度の障害。以前は住み込みや日雇いなどで働いていた人が多く、日常の会話は問題ないが、文章作成を頼むと、つたない文章しか書けない人が目立つという。「何回も就職先で失敗して怒られた。障害のせいだとわかって逆にホッとした」と語った人もいた。こうしたハンデを持つ人が、労働市場の競争を自力で勝ち抜いて職を得るのは難しい。生活保護を受けてアパートに移った場合もゴミの出し方、金銭管理などで戸惑うことが多い。
東京・池袋では09年末、精神科医や臨床心理士らのグループ「ぼとむあっぷ」が、路上生活をしている男性164人の同意を得て各種のテストをした。知能指数(IQ)で見た障害程度は中度(40~49)が6%、軽度(50~69)が28%で、障害認定に相当するレベルの人が計3割余りにのぼる。境界域(70~79)の19%を合わせると半数を超えた。中にはIQ130という人もいたが、半面、意思疎通ができずに調査対象外になった人もいた。うつ病、統合失調症など精神障害も少なくなかった。
メンバーの臨床心理士、奥田浩二さんは「調査時期や地域によって割合は違うだろう。事故による脳機能障害や認知症など後天的な原因もある」と説明する。精神障害の場合は、ホームレスになる過程で受けた心理的打撃や過酷な生活の影響も大きいとみられる。
大阪のNPO釜ヶ崎支援機構でも、若い相談者の約3割が知的障害や精神障害の疑いで受診している。一方、主に高齢のホームレスの人々を支える東京のNPO「ふるさとの会」では、施設利用者の4割に認知症があるという。
発達障害には、自閉症スペクトラム、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、LD(学習障害)などがあります(知的障害を含めて発達障害と呼ぶこともあるが、ここでは狭い意味で用いる)。いずれも生まれつきの脳の特性と考えられています。
自閉症スペクトラムは、重い知的障害を伴う人から、知的能力の高い人(アスペルガー障害)まで広い幅があります。人と親しくなろうとしない、何かに強いこだわりを持つ、他人の気持ちや場の空気を読むのが苦手、あいまいな言葉によるコミュニケーションが苦手、といったことが特徴です。
ADHDは、不注意や忘れ物が多い、落ち着きがない、あきっぽくて集中できない、物を片づけられない、衝動的になることがある、といった特性があります。知的能力の高い人も少なくありません。
LDは、知的能力は低くないけれど、読む、書く、計算するなど特定の領域の学習が困難です。
発達障害者支援法が05年度に施行されてから、発達障害と診断される子ども、特別支援教育を受ける子どもが増え続けています。増えた背景には、障害の社会的認知、制度の周知、親の意識の変化といった社会的要因がありますが、ひょっとすると生物学的にも増えているかもしれません。
発達障害は、程度によりますが、知的障害を伴うなら療育手帳、そうでなければ精神障害者保健福祉手帳の交付対象になります。大人になってわかる発達障害も少なくありません。ここまでは健常、ここからは障害とはっきり線引きできるものではなく、見過ごされているケースが多数あります。特性を発揮することで社会的に活躍する人たちがいる一方で、人間関係のトラブルが起きて職場に不適応になったり、うつなどの精神症状が出たりして、生活の困難につながることもあります。
精神障害は、統合失調症、気分障害、各種の依存症、高次脳機能障害(器質性精神障害)、心因性の精神障害など多種多様です。14年10月の厚生労働省「患者調査」によると、医療を受けている精神障害者は392万人(入院31万人、外来361万人)に達しています。ここには短期の受診も含まれます。継続的な通院が対象となる自立支援医療(精神通院)の支給決定件数は、14年度で177万8407件です。一方、精神障害者保健福祉手帳の交付者数は80万3653人(15年3月末)にとどまります。
医療にかかっていなくても、精神症状のある人はいます。とくにギャンブルやアルコールの依存症は、潜在患者が数百万人規模で存在すると推計されています。統合失調症と見られる幻聴や妄想があっても、医療を受診したことがないまま、社会生活を送っている人もいます。
知的障害の人の多くは、単調な作業でも、根気よく続けることができます。昔は、そういう人に向く仕事がありました。まず農業です。季節や天候を踏まえて計画的に作物を栽培するには複雑な思考が必要ですが、ほかの人から段取りを教えてもらい、農作業をするだけなら、十分にやれたでしょう。次に鉱山、工場、工事現場です。そうした場での比較的単純な労働は、知的障害の人に向いていたはずです。町工場で親方の指示に従って働く人たちもいました。
発達障害のうち自閉症スペクトラムの人はどうか。コミュニケーションは苦手でも、こだわりが強いのは長所にもなりえます。農業や漁業は、必ずしも人間関係が円滑でなくてもできたでしょう。もっと向くのは、職人的な仕事です。腕が立つ一方で、頑固で気難しい職人さん。その中には、アスペルガー障害の人がけっこういたのではないでしょうか(このあたりは、発達障害に詳しい精神科医、高岡健さんの話を参考にした)。
ところが農業の規模は小さくなり、商品として出荷するために栽培の手順が複雑になりました。鉱業はほとんど消滅し、製造業も機械化が進んだうえ、海外に生産拠点が移っていきました。建設業の現場も機械化が進行しました。手先の技能を求められる職人的な仕事も減りました。
このごろ求人が多いのは、飲食・販売・サービス業、医療・福祉、IT関係などです。お客さまとの対話や職場内でのコミュニケーション、あるいは複雑な思考を求められる職種です。
時代の変化、日本の産業構造の変化に伴って、障害を持つ人の一般就労の場が減ってきたと考えられるわけです。せめて障害者枠の雇用をもっと増やさないと、カバーできないでしょう。
最後に、生活保護の統計に関して、注意が必要な点を挙げます。生活保護の世帯類型は、高齢者世帯、母子世帯、障害者世帯、傷病者世帯、その他世帯の5タイプに分けられています。近年は「その他世帯」が増加したため、働く能力のある世帯の受給が増えたように言われています。
しかし、障害者世帯にカウントされるのは、世帯主が<1>生活扶助で障害者加算を受けている<2>入院または老健施設に入所中<3>障害のために働けない――のいずれかにあたる場合です。障害者加算がつくのは、障害年金の1級または2級に相当する状態(または、ほぼ同等の身体障害者手帳1~3級)です。加算があれば、若干の勤労収入があっても障害者世帯に計上します。
その一方で、障害者加算がない場合は、たとえ世帯主が障害者手帳を持っていても、働いて1円でも収入を得ていれば、「働けない」の条件を満たさないとして、その他世帯にカウントします(勤労控除は考慮しない)。たとえば、雇用契約にならない就労継続B型(いわゆる作業所)に通い、月数千円程度の工賃しかなくても、その扱いになると厚労省保護課は説明しています。
傷病者世帯も同様です。世帯主が<1>在宅患者加算を受けている<2>入院または老健施設に入所中<3>傷病のため働けない――のいずれかが条件です。在宅患者加算がつく病状は限定されており、それ以外の病気の場合は、少しでも働いて収入を得ていれば、その他世帯にカウントします。
その他世帯には、世帯主が障害や病気の世帯が、それなりに含まれているわけです。その他世帯の実情について厚労省は、もっと正確な分析をして公表するべきです。でないと誤解を広げてしまいます。
引用元:https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20161020-OYTET50030/