最後の砦
「どうですか?」
北九州医療刑務所長で医師の瀧井正人(67)の診察は、いつもその一言から始まる。
「『何が』どうなのか」という主題を、瀧井は示さない。初めての患者は困惑するが、助け船は出さずに、患者が語り始めるのを、じっと待つ。何を語るかによって、今の患者が抱えている問題、心の状態などが見えてくるからだ。
摂食障害の女性受刑者が増えている現状や背景を4回に渡って伝えるシリーズの3回目は、重症の患者を受け容れている北九州医療刑務所の状況をレポートする。(参考:シリーズ1回目の記事、2回目の記事)
ある日の診察から
その日、朝一番の患者はD子(40)。白いガーゼに青い花をちらしたパジャマにピンクのサンダル。腕は折れそうに細く、血管が浮き出ている。肌は青白い。髪の毛も細く、量は少ない。それを後ろで無造作に束ねている。壁際に座る患者と机を挟んだ医師の距離は、一般の医療機関に比べて遠いように思うが、それは慣れっこになっているようで、どちらも気にする様子はない。
瀧井がいつものように「どうですか?」と問うと、D子がぽつぽつと近況を語り始める。その中にこんな言葉があった。
「食べ物のことをあんまり考えなくなった」
それについて瀧井は「それはどういうこと?」「どうしてだろうね?」と、問いを重ねる。
問いは短い。それに対し、D子はゆっくりと考えながら、自分の状態や思いを答えていく。
「前は常に食べたいもののことばかり考えていた。特にこういう所(=刑務所)にいると、好きなものが食べられないので、甘い物を食べたくて、食べたくて……。夜寝るときには、『明日の食事は何かな』と思い、朝ご飯の後は『お昼には何が出るかな』と。でも最近は、それ以外のことを考えることが多くなりました」
「少しは栄養が回ってきたのかな」
D子は立ち会う看護師ら医療スタッフ2人のほか、刑務官もパソコンやペンで、懸命にD子の話をメモする。
途中、最近読んだ本の話から、母親との関係に話が展開。いくつかのやりとりの末に、D子が答えに詰まると、瀧井はそこで話を引き取って、話題を今後の食事量に切り替えた。
「食べる実力」が大事
それまでD子は、食事を通常の8分の1量に制限されていた。必要なカロリーや栄養は、液体の栄養剤を飲むことで補う。今回の診察で、今後は食事を通常の4分の1量まで増やし、栄養剤を1缶減らすことになった。状態が少しよくなっている、という評価だ。
ここ北九州医療刑務所に、九州大学病院心療内科で長年摂食障害患者の臨床にあたっていた瀧井が招かれたのは2013年。瀧井が行っているのは、大学病院時代から行っていた「行動制限を用いた認知行動療法」を刑務所に合うよう、独自にバージョンアップしたもの。食事や入浴、運動量などを著しく制限する行動療法と「心を育てる治療」の組み合わせからなる。
嘔吐を繰り返す摂食障害の患者も、D子が語っていたように、実は食べ物には強いこだわりがある。食事制限を解除してもらいたくて、「ちゃんと食べます」と約束しても、瀧井は容易に受け容れない。
「あなたには、まだ『食べる実力』がありませんから」
そう言い渡して、厳しい制限を続行することもしばしばだ。食事を増やしても、嘔吐したのでは意味がない。出された食事をちゃんと食べて消化し、栄養を血肉に行き渡させられるようになって初めて、「食べる実力」がついたと認められる。
こうした手法は、治療にしっかり取り組めば、いいことがあるという動機付けになる。
制限されるのは、食べ物だけではない。たとえば運動。極端にやせていても、多くの場合、本人はいたって元気で、活動的だ。休養を命じられ、ベッドに横たわっていなければならないのに、刑務官の目を盗んで足を上下に動かしたりして、少しでもカロリーを消費しようと努める。そういう患者に、運動を禁じ、休養を厳守させる。入浴も同様だ。
運動・入浴の制限は、極度にやせた患者の場合、生命の危険を伴うからでもある。状態が改善すれば、制限は次第に解除される。
ただひたすら考える
重症の患者は、自由に本を読んだりテレビを見たりもできない。できるのは、ただひたすら考えることだけだ。今まで避けてきたこと、なぜ自分がここにいるのかなどを、この間にじっくり考えさせる。
瀧井によれば、摂食障害を引き起こす成因として、もっとも重要なのは、つらいこと、様々な問題からの「回避」。人は成長するに従って、様々な問題を心で受け止め、解決策を模索したり、自分なりに折り合いをつける力を身につけていくが、摂食障害患者はそれを「回避」し、拒食や過食嘔吐などの行動や、やせすぎた身体などに依存していく。
症状の背景には、しばしば家族、とりわけ親との葛藤が存在する。たとえば、母親はスーパーウーマンで、ばりばり活躍しているけれど、娘はその愛情を十分に受けられずに育った、というケース。娘の中では、そのことへの恨みはよどんでいるのに、それを認めようとせず、親への気持ちが整理できないままで、「もっとこうして欲しかった」とはっきり言うこともできずにいる。
問題をきちんと整理し、親との関わりや自分の生き方をどうするか考えなければ、摂食障害の根は残ったままだ。
だから、単に食べられるようになって、体型が戻ればいいというものではない。認知行動療法に、診察でのカウンセリングを組み合わせ、症状が改善するに従って読書療法、グループミーティングなどを加え、今まで避けてきた自分の問題と向き合い、それに対応できる心を育てていくのが治療の狙いだ。
絵本を使った読書療法も
読書療法に使うのは、主に絵本。または童話。文字量が少ないものを、繰り返し読みながら考える。本をきっかけにして自分の問題を向き合う。
D子がこの日、診察の中で瀧井に感想を語ったのは、絵本「大きな木」(シェル・シルヴァスタイン作、村上春樹訳、あすなろ書房)だった。大好きな少年のために、すべての実を与え、すべての枝を与え、幹を与え、残るは切り株だけになってしまったリンゴの木の話。少年は、いずれの時も当たり前のように木の贈り物を受け取っては去って行く。最後に、老いた姿で戻ってきて、休む場所を欲しがった彼に、木は切り株に腰を下ろして休むように勧める。
D子は、木を母親に、少年を自分に見立てて、こんな感想を語った。
「最初は、この少年を腹立たしく思った。でも、何度も読んでいると、自分も同じかな、と。お母さんに与えられたものを、当たり前のように感じて、それが幸せとも思わず、無駄にしてきた。自分は心が乏しかったから、幸せを感じなかったのかも。お母さんは、私が幸せなら自分も幸せだと言っていたけど、お母さんの本当の望みは何だったのかな……」
お金で自分の気持ちを解決、その先に…
D子が拒食症を発症したのは中学1年の冬休み。たまたま何も食べない日があり、体重を量ってみたら、少し減っていた。「どこまでやせられるかやってみよう」と、ほとんど食べなくなった。お弁当は犬にやって、お弁当箱を空にして帰った。やせて顔色が悪くなり、病院に連れて行かれたが、検査でも原因がよく分からない。中2の春、初めて専門病院に行き、拒食症と診断されて1か月入院した。
甘い物が食べたくなり、病院を抜け出し、町をうろついている時に、目についたお菓子をポケットに入れた。これが、最初の万引き。それが頻繁になっていったのが、高校時代だった。症状は進み、食事はほとんど取らず、お菓子ばかり食べては吐いていた。
友だち同士で遊びに行こうと誘われても、出先で一緒に食事をしなければならないと思うと気が進まなかった。
D子は言う。
「本当は行きたかった。でも行かれない。そんな心のモヤモヤを、『余計なお金を使わずに済んだ』と考えることで、納得させた。皆は外で食べてお金を使ったけど、私は使わずに済んだ。だから、私の方が幸せ。そんな風に、お金で自分の気持ちを解決するようになっていきました」
そのお金を、甘い物をたくさん買うのに使ってしまえば、せっかくの我慢が無になってしまう。お金は使いたくない。だから、欲しいものは盗る。そんな発想で万引きを重ねた。お金を使わずに甘い物を得ることが、心のイライラやモヤモヤを晴らし、幸せ度を高めるような錯覚に陥った。
後回しにしてきた大切なこと
ずっと両親と一緒に住んでいたが、母親から旅行や外食に誘われても、「またにする」と断ることがほとんど。一度外食につきあったが、母は食事をしていても、D子が食べるのはデザートだけ。それでも、「一緒に行ったんだから、いいでしょ」と思っていた。
ところが、実刑判決を受け、服役が始まって、母から手紙が来た。「お母さんの夢は、D子と一緒に食べに行くことだよ」と書いてあった。母は、単に同じテーブルにつくだけではなく、娘と一緒に食事をしたい、同じものを食べて、語り合いたいんだ……と分かった。
「両親と一緒の生活がずっと続くんだと思っていた。でも、今回捕まった翌日に熊本地震があって、人の人生、命はある日突然なくなるということもあるんだなと思った。今、両親が亡くなったら……ものすごく悔いが残る。帰ったら、今まで後回しにしてきたことを、やりたい」
そんな風に思えるようになったのは、大きな進歩なのだろう。ただ、これはまだ治療の途中段階。彼女の体はまだまだ細く、心の問題の解決も含めた回復までは、まだまだ時間をかけて治療を進めていくことになる。
情報と方針を共有する「チーム医療」
この医療刑務所の特徴は、瀧井ら医師や看護師などの医療スタッフと、生活面を見る刑務官が、情報や方針を共有し、それぞれの役割を果たす「チーム医療」だ。
毎日のようにミニカンファレンスを行って、情報を交換する。刑務官から、患者の日々の生活状況が医師に報告されるだけでなく、医療スタッフからも刑務官に患者の状況や治療方針などが伝えられる。「食べる実力」を認めてもらえなくて落ち込む患者を支えるのも、刑務官たちの役割だ。
刑務官は「とにかく聞く」
収容者の生活面を見るうえで、最も症状の重い摂食障害患者を受け持っているのが、第4収容棟の担当刑務官高野(32)だ。高野の1日は、朝5時半に始まる。
6歳の娘が保育園に行く用意を済ませ、6時20分には家を出る。保育園への送りは、同居の母に頼み、まっすぐ職場へ。7時20分の朝礼で、仕事開始。それから夕刻まで、1時間35分の休憩を小分けに取る以外、とにかく忙しい。
居室にいる受刑者は、刑務官に用がある時、各室の報知器のスイッチを入れる。すると、高野のPHSが鳴る。受刑者の声は室内のマイクが拾うのでPHSで聞くことができる。高野の声は、居室のスピーカーを通して受刑者に届く。このやりとりで用が済みそうな時でも、高野はできるだけPHSでの会話で終わらせず、居室に足を運んで、当人の顔を見て話すようにしている。PHSはひっきりなしに鳴り、そのたびに高野は「今行くから、ちょっと待って」と言って、訴えの主の元に向かう。あっちの房、こちらの房へと、くるくると動き回って、席が温まる暇はない。
「大変なのは、一人ひとりが家庭環境、生い立ち、摂食障害が始まった時期などがみな違い、摂食障害だからというのでひとくくりにできないこと。症状がすごく重い人もいるし、人格障害がある人もいる。一人ひとりの内面を見ていかないと、治療につなげられない。だから、まず目線を合わせて、話を聞くように努めています。規則違反をしても、いきなり怒るんじゃなくて、なぜそういうことをするのかを聞く。ただ、聞き過ぎて、担当に依存しすぎになってもいけないので、その兼ね合いが難しいんですよね」
摂食障害患者には、刑務官らの注意を引きたがり、他の患者と比べて、自分が大事に扱われているかどうかを気にする者が少なくない。洗面の順番を巡って「なんであの人が、私の先なの?」と文句を言い、話を聞く機会や時間についても「あの人とは話しているのに、私とはあんまり話してくれない」と不満をぶつける。まるで幼稚園で先生を取り合う園児のようだ。
「家に帰って、子どもの相手をしていると、『昼間も同じようなことを聞いたな』と思うことがあります。ここにいるのは、親からの愛情を十分に受けられなかった人が多く、体は大人でも、愛情求めるという点では、心はまだ子どもなんだと思う。『ちゃんと見てもらっている』と納得すると落ち着くんです」
診察後の様子には、特に注意を払う。落ち込んでいる人の弱音を聞き、不満を抱えている者のグチを聞く。できるだけ治療に前向きになるように背中を押し、次の診察につなげていく。それが、自分の役割だと高野は言う。
「私が突き放したら、誰も味方がいない、と思われてしまう。だから、とにかく根気よく聞く。医療刑務所が投げ出したら、この人たちはもう行く所がなくなってしまう。ここが最後の砦だと思うし、なんとかしてあげたい。摂食障害と窃盗がつながっている人は、治療が進めば再犯防止になるわけですし」
「受刑する力をつけないと」
高野の上司で主任の福原(43)は、刑務官になって19年目のベテラン。一般の女子刑務所で勤務していた時に、摂食障害の受刑者の深刻さに衝撃を受けた。北九州医療刑務所が摂食障害患者の治療に当たることになったと知って、自ら希望して転勤した。
「ちゃんと栄養をとっていないから、脳にも栄養が行き渡っていない。そういう人には受刑する力もない。ちゃんと栄養を取れないと、罪に向き合うことができないんです。だから、ここで治療して、そういう力をつけないと」
服役を繰り返し、立ち直ることを諦めてしまっているような受刑者もいる。
「でも、何度も刑務所に入って来る人でも、心のどこかで『変わりたい』という思いを持っていて、それを見せることがある。そういう思いを出せる、素直になれる環境づくりから始めたい」
一般刑務所の刑務官が研修に来ると、びっくりするのは、受刑者の問題行動に対して、刑務官が寛容なことだ。通常なら、調査を行い、懲罰の対象になるような行動があっても、穏やかに諭すだけ、という場合が少なくない。
「ここにいるのは、今までさんざん怒られ倒してきた人たち。食生活についても『なんで食べないんだ』と怒られてきた。そういう人たちには、注意はするけれど怒らない、というのも一つの方法。ただし、(違反を)見逃したのではない、ということはきちんと言います。『あなたは重い病気で、病人として扱われている、ということ。だからあなたはちゃんと治療に取り組まないといけない』と」
逃げられない刑務所は「最高の治療環境」
瀧井は、「ここは、最高の治療環境」という。生活面も含め24時間体制で患者をみることができ、食事などの管理がきっちりでき、患者は勝手に治療から離脱できない。受刑者がいる区域は二重の扉で区切られ、塀や監視カメラが設置され、収容者が逃げ出したり、外界と自由に行き来することは不可能だ。本人の意思で、勝手に元の刑務所に戻るわけにもいかない。
さらに、刑期満了までの期間を治療に当てることもでき、一般病院に比べて長期の入院治療が可能だ。よくなってくれば、作業療法や室内での軽作業を経て、工場で刑務作業へと移行して、様子を見る。状態が後退すれば、すぐに休養に移して、また治療中心の生活に戻すこともできる。
親に突き放されて
E子(31)の場合、和歌山刑務所からここに移って1年2か月になる。すでに症状はだいぶよくなり、インタビューの部屋には、一般刑務所の女子受刑者と同じピンクの作業服を着て現れた。
「工場に出られて、他の人とも関わりを持てて、すごく自信になっています」
そうほほえむE子の体型は普通。色白だが、ほおに赤みがさして、健康そうだ。
摂食障害になったのは14歳の時。双子の妹が先に拒食症となった。すると、両親は心配して病院に連れていくなど、その目は妹だけに注がれた。やせた妹が輝いているように見え、E子も食べたものを吐くようになった。しかし、あまりやせない。
吐いているのを母親に見つかり、「あんたまで、私を困らせたいのか」となじられた。E子は「突き放されたような気分」になったという。
学校には馴染めなかったが、母親に相談すると「それはあんたが陰気だから」と言われた。意地でも行ってやると思い、皆勤賞をとった。いったん決めると絶対やりぬく。心の悩みは表に出さずにがんばる。「いじっぱりなので」E子。このような意思の強さが、彼女の病をさらに悪化させた。
短大で医療系の国家資格を取得し、就職したが、過食嘔吐はひどくなる一方。そんな中、つい万引きをしたら成功した。それをきっかけに万引きを繰り返し、終いに警察に突き出された。
親からは「あんたは何を考えているのか分からない」と、長々叱られた。説教されている間、E子は黙り込んだまま、内心では「また同じ話。いつ終わるかな……」と思っていた。
「親はもう信用していなかったので」
何度も警察沙汰になった挙げ句、実刑判決を受けた。
「いい子」ぶってもバレバレ
北九州医療刑務所に移って、すべての行動に制限を受けた。食事は出されず、栄養剤のみ。これにE子は憤慨した。
「最初は、人間扱いされていない、なんでこんなひどいことするんだ……って思って、先生にも『すごい惨めだ』と訴えました」
すると瀧井は、「惨めなのは、あなたの人生でしょ」と言うだけで、まったく取り合わなかった。
これにE子は衝撃を受けた。かつて、民間の病院に通ったことがあるが、その時の医師たちは、「つらいね、つらいね」とやさしく声をかけてくれて、自分の味方になってくれているように感じた。それに比べて瀧井の態度はあまりにそっけなかった。
「こういうのは初めてで、本当にびっくりした」
当初は、本を読むのも禁じられ、何もすることがない。いかにして制限を解いてもらうか、医師によくなったと思ってもらうにはどう言えばいいのか、そればかり考えていた。
「でも、いい子ちゃんぶっていたのがバレバレだったと思う」とE子。
いくら反省の弁を述べ、自身の問題が分かったかのように話をしても、瀧井は「ふ~ん」と相手にしてくれない。
そういうことが繰り返され、E子はどんなに取り繕っても、すべて読まれていると思った。本当に自分自身を向き合わざるをえない、と覚悟を決めざるをえなかった。そうしてじっくり考えたことを話すと、今度はじっくり耳を傾けてもらえた。
「先生は、嫌な面を見せても私を否定しない。自分の知らない面も引き出してくれた。私のことを、すごくよく見てくれているんだなあ、と分かった」
そう思えたら、「いい子」を演じる必要がなくなった。
ただ、そのプロセスで自分の嫌な面を見つめなければならないのは、辛いことだった。そういう自分をなかなか受け容れられず、落ち込んでいた時、担当の刑務官が声をかけてくれた。
「泣きたかったら、泣いていいんだよ」
それまで、泣くのは駄目なことだと思っていた。感情を内に押し込めがちなE子に、刑務官は「感情を表に出すのは悪いことじゃない」と言った。「私たちも一緒に向き合う」という励ましも心にしみた。「自分は1人じゃない」と思えた。
医師のカウンセリングと刑務官のサポートを得て、こんなことを考えた。
「すべて自分で抱え込んでいる間は、『私に手をさしのべてくれる人はいない』と思い込んでいたけど、そうではなかったし、少しは人を頼ってもいいんだなって」
「自分でできると過信していたけど、結局できなくて挫折感ばかり。人と比べて、『自分はダメだ』と落ち込み、自分を責めてばかりで、前に進めなかった」
「それまでの私は、嫌なことを考えず、いいことばかりを考えるのが『前向き』だと、間違って理解していた。それは、嫌なことから逃げているだけだった」
ただ、家族からは突き放されたまま。医師から、「心の支えは、(家族に求めるのではなく)他に見つけた方がいい」という助言を得て、少しずつ心の中で整理していった。
「前は、自分の部屋に籠もってばかりいて、自分で自分の人生を楽しもうとしていなかった。刑務所を出たら、いろんな所に出掛けて、視野を広げたい」
本当の闘いは外に出てから
今回、私の取材を受けた理由を、E子はこう語った。
「自分に正直になって、隠れるのはやめようと思って。話すことで、自分を知る機会にもなるし、それも自分の役目なのかな、と」
ここまでよくなった人も、問題はここを出てからも今の状態を維持できるか、だ。社会での生活にストレスを感じたり、処理しきれない悩みを抱えたりしても、信頼関係を築いた医療刑務所の医療スタッフや刑務官に、相談に訪れたりするわけにはいかない。
主任刑務官の福原は言う。
「出る時に、ここを出てからが不安、と言う人もいる。『やっぱりダメだった』と累犯で戻ってきてしまう人もいないわけではない。この人たちの本当の闘いは、ここから外に出てからなんですよね」
(敬称略)
写真:清作左(一部の写真は、個人が特定できないよう加工しました)
【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】
引用元
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