自分が高校2年くらいの時に流行った曲。
当時のお洒落スポット、古着屋など(現在のリサイクル古着屋ではなくUSAの古着を扱う店)ではヘビープレイ!
その後、HIP HOP R&Bのブラックミュージック、HOUSEミュージックなどのクラブ系に傾倒、DJをやるようになる。
以下引用
今や白人ラッパーと言えば、間違いなくエミネムですよね。けれどヒップホップ界の王者エミネムが登場する前にも、大ヒット曲を生み出した白人ラッパーがいたのです。
1993年にデビュー曲『インフォーマー』の爆発的なヒットによって世界中にその名を知らしめた、カナダ出身の白人ヒップホップ/レゲエ歌手のスノー(Snow)を覚えていますか?
日本では94年に洋楽新人部門でゴールドディスク大賞に輝いた経歴を持つ元祖白人ラッパーの現在の姿を追ってみました。
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出典 http://djkaas.com
カナダ・トロントの黒人が多く住む貧しいエリアで生まれ育ったスノー(本名: Darrin Kenneth O’Brien)は、友人マーヴィン・プリンスの地下室でヒップホップとレゲエをフュージョンさせた音楽を生み出していました。
彼の才能に気付いたプリンスがNYのミュージシャンM.C.Shanに紹介、そこから瞬く間に彼のプロデビューへの道は拓かれていきました。
デビューは傷害事件で収監されていたスノーの出所を待たなければなりませんでしたが、この事件、逮捕の経験があってこそ、伝説の曲『インフォーマー』が生まれたのです。
デビュー曲は世界中で大ヒットし、アメリカ史上最も売れたレゲエシングル曲として二度ギネス記録を塗り替えました。
二枚目のアルバム『マーダーラブ』に収録された『セクシーガール』は日本で16週ランキングに君臨し、最終的には一位を獲得する程の大人気だったのです。
彼のデビューのきっかけを作り、ツアーや作曲にも参加していたプリンスから売り上げの報酬をめぐり訴訟を起こされるといういざこざもありましたが、結果はスノー側の勝訴。
その後も順調に音楽活動を続けていたスノーですが、彼と家族に突然の悲劇が襲い掛かったのです。
デビューから十六年後の2009年、内縁の妻タメイさんが子宮がんの宣告を受けてからわずか二週間後に亡くなりました。
スノーの楽曲の中でも歌われていた愛するタメイさんの突然の死により、彼は音楽を通じて同じ様にガンと闘う人々の手助けができないかと考え始めます。
それから更に五年後の2014年、音楽活動を停止していたスノーの待望の新曲『シェイム』がリリースされました。
元々はファンにアルバムを出さなかった沈黙の期間の理由を明かす為に書かれたこの曲ですが、曲を書き上げたスノーにあるアイディアが浮かびます。
‘Let’s do something for cancer’
「ガンと闘う人々の為に何かしよう」
スノーはアメリカのチャリティ団体Karen E. Mumford Cancer Foundation (KEM)にコンタクトを取り、新曲『シェイム』からの収益を全てKEMに寄付することを決断しました。
彼は事前にKEMの活動内容も吟味し、彼らがガンの研究だけでなくガン患者へのサポートにも力を入れているところに感銘を受け、寄付を決めたのでした。
出典
これ以前にもスノーは自らの生まれ育った境遇から貧困に苦しむ家庭の為のNGO団体『ピュア・スノー』を設立し、無料のコンサートを開催するなどチャリティ活動に力を入れていました。
彼の空白の時間は妻の死による悲しみから生じたものではなく、音楽活動を通じて地域へ貢献できる道を模索する期間でもあったのです。
また、人気絶頂の中突然息をひそめた本当の理由は、過去の過ちが原因だったと告白しています。前科のある彼はアメリカへの入国を拒否された為、活動の拠点が限られてしまったのでした。
近年ようやくその問題が解決し、積極的な音楽活動の再開に意欲を見せるスノーの今後の活躍が楽しみですね!
Darrin O’Brien(SNOW) (@Snowdko)さんの最新ツイート。Singer
Snow, best known for his No. 1 hit “Informer,” has dropped a charity s
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弥生 このユーザーの他の記事を見る
短期語学留学転じての現地採用で気付けば在英十年目のしがないOLブロガー。
庶民的な海外生活、海外ニュースについて書いています。